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mp3 ストリーミング: Iridian Radio と Postclassic Radio

記事にするところまでなかなか到らないのだが、相変わらず気が向くとストリーミングを渉猟している。今回とりあげるのは、いわゆる“現代音楽”中心のユニークな選曲を誇る2局。いずれも、音声ストリーミングのサービス・プロヴァイダ Live365 を利用しており、聴取には同サイトでの(無料)アカウント取得が必要。

Live365 の無料アカウントには、一本調子で煩わしいCMが流れるほか、時間帯によっては一部の局の聴取ができなくなるなど、若干の制限がある。しかし、既に利用しておられる向きはご存じと思うが、とりあえず聴いてみる程度から長時間の聴取まで、(番組の流れを台無しにしてしまうCMを無視すれば……タダより高いものはないの実例か(笑))支障はほとんどない。

〔備忘: “現代音楽”については、とりあえず Wikipedia 日本語版の当該項(たいへん意欲的な記述だが、内容の当否は私には判断不能)、また Wikipedia 英語版 contemporary classical music の項も参考に〕

Iridian Radio

1局めは Iridian Radio(リンク先は公式サイト)。トップ頁には、Phillip GlassSteve ReichTerry Riley といった、私でも名前だけは聞いたことがある著名な作曲家(といっても、ミニマリズムの傾向が強い人の作品ばかりというわけでもないが)、また Meredith MonkLaurie Anderson を始めとする作曲家兼パフォーマー、さらには Tom Waits(→関連拙稿)や Frank Zappa など、番組のなかで頻繁に流れる作曲家・演奏家たちが列挙されている(ただし、現行プログラムを聴くかぎりでは、このトップ頁での紹介は網羅的ではない)。同局を主宰しているのは、自身も作曲家・ヴァイオリニストの Robin Cox さん(リンク先は同氏のアンサンブル公式サイト)。

選曲は、かなり尖鋭的(というよりもむしろ“痙攣的”というべきか)な印象を受ける。自分が耳慣れないせいもあるのか、聴き手の注意力を半ば強引に向けさせるような“辛め”の曲が多いように思う。作品は20世紀後半以降に活躍している音楽家のものがほとんどのようだ(その意味では文字通りの“同時代”音楽とも言える)。曲の長短もまちまちで、僅か1、2分の激しい曲が何曲か続いた後、たとえば Glass 作曲の、反復の多い弦楽四重奏曲が20分以上にわたって流れたりする。また、リズムのおもしろさや変化を主眼にして書かれたパーカッシヴな曲の演奏もしばしばかかる。このため、聴きやすさという点ではちょっとしんどい。単に聴き流すという聴き方はしにくく、私などは1時間も続けて聴いていると気疲れしてしまう。

それでも(やや余談めくが)、Iridian Radio ではたとえば Kronos Quartet による演奏が多数流れる。ド素人の私が今さらこんなことを言うまでもないのだろうが、彼らの演奏がもつ爽快なまでの切れ味の良さには、耳を傾けていて一再ならず驚かされた。そんな発見もある。

Postclassic Radio

Iridian Radio に関するウェブ上の記述を探していたら、芋蔓式に Postclassic Radio(リンク先は Live365 内の同局ページ)にたどり着いた。こちらを主宰するのは、Kyle Gann さん。同氏は Iridian Radio の Robin Cox さんと同じく、米国の作曲家(また音楽批評家)の由。それよりも個人的に驚いたのは、Gann さんが、以前シリーズ冒頭の数回分を非常に興味深く聴いた(が、遺憾ながらその後まだ全篇を通して聴くことができていない)ラジオ番組 American Mavericks のナレィション原稿を書いた方だったことだ。

再び脱線するが――この American Mavericks は、各回60分、全13回から成る近現代(の)音楽史探訪シリーズ。元は米国の公共放送ラジオ局で放送されたもの(のため、すべて英語なのは残念)。19世紀の終わり頃を起点に、そもそも統一的な国家イメージを建国後200年を経て今なお欠いているアメリカという国が、欧州を本拠とするいわゆる“クラシック”音楽の流れから“独立”し、アメリカ固有のユニークな音楽を確立していく過程を描く(もののようだ――全篇未聴のため)。シリーズ標題に言う「はぐれ牧牛(mavericks)」は、西洋古典音楽の主流たるヨーロッパから地理的にも文化的にも離れた米国(の音楽と音楽家たち)を表している。数回分を聴いたかぎりでは、数多くの作曲家の曲の実演やインタヴュウなど豊富な一次音源を含む、実によくできたシリーズで、演奏される音楽だけを拾っても興味深く聴ける。未聴の方にはオン・ディマンドで提供されているアーカイヴ聴取をぜひお勧めしたい(そして、早く最後まで聴こう > 自分)。また、シリーズ公式サイト(上掲)では、Gann 氏執筆の原稿(ページ下方、「Read」の「Essays by music critic and author Kyle Gann」。ただし番組中での実際の語りとは、細部で異なっている箇所もある)を読むことも、演奏・インタヴュウのみを抜粋して聴くこともできる。(さらには、2系統のストリーミング番組もある)

このユニークな番組については、できれば別稿を期したい(と、上掲のシリーズ公式サイトの存在を知ってからずっと考えているのだが、なかなか果たせない)。

さて、Postclassic Radio の選曲は、Iridian Radio と比較した場合、個人的にはもう少し聴きやすいように思う。Gann さんのウェブサイトで公開されているプレイリスト(過去の番組分も含む)を見ても、たとえば Harold Budd や Brian Eno(→関連拙稿12)のアンビエント作品や、時代を20世紀前半に遡って Eric Satie の作品も選曲されている。インストゥルメンティションの点で、ギターや電子楽器など、いわゆる“ポピュラー音楽”で耳になじんだ楽器が加わった編成の作品も多い。演奏時間も、だいたい5、6分から10分程度の比較的まとまりのよい長さの曲がつながっている感じだ。

今回の“芋蔓”

本稿を書くにあたり Iridian Radio から Postclassic Radio への“芋蔓”になったのは、この2局が2004年に同時に受賞した ASCAP-Deems Taylor Award(「Internet」部門)に関する言及だった。検索エンジンから、以前の拙稿(→上掲拙稿1)でも参照したことがある、主にインターネットを通じた放送に関する情報を扱う RAIN(Radio And Internet Newsletter)所掲の昨年(2004年)11月12日付記事「Internet stations going to edges of classical music exploration」(この記事自体は、Los Angels Times 紙初出(?)のようだ)を読みにいって、Postclassic Radio について知った。奇しくも、この記事中のインタヴュウで、Cox・Gann 両氏ともに「既存のクラシック音楽局は商業主義に毒されていて、自分が聴きたい曲〔この場合は“現代音楽”〕がまったくといっていいほど聴けない」ので、自前でストリーミングを始めた旨を語っている。

どちらの局がよりお薦めというわけではない。私自身は、この2つのユニークなストリーミングの存在を知り、或る程度まとまった時間その番組を聴くようになってから、実はさほど時日を経ていない。“現代音楽”は、日本でも、たとえば NHK FM のクラシック番組(印象としては、それなりに時間を割いているとは思うのだが)で紹介されるもの以外は、自分で音盤を探して買って聴くというような接し方しか成り立ちにくいのが現状であるように思う。上掲2局は、そうした状況を少しは改善してくれるのではないだろうか。

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  • 今回検索したところ、「新しい音楽との出会いを求めて:世界中のインターネットラジオを楽しみつくすブログ」 Net Radio Station、05年1月12日付 「Iridian Radio」という記事で、すでに Iridian Radio についての(上掲の拙文よりはるかにわかりやすい)紹介がされていた(深美智彦さん執筆)。同ウェブログは、ほかにも Live365(無数に局があって、個人的には探しづらさを感じる)内のものを中心に多数のストリーミング局が紹介されている。しばらく更新が止まっているのが残念だが、興味をお持ちの方はぜひご一読を。

  • いわゆる“現代音楽”について、私自身はその歴史から作曲家や個別の作品にいたるまで、未詳としか言いようがない。Kompf さんのウェブログ 快楽原則 では今夏、「作曲家サイト集 Vol.1」(05年7月12日付)・「作曲家サイト集 Vol.2」(05年7月21日付)にて、19世紀末以降に生まれ主に20世紀初頭以降に活躍した作曲家(欧州および北米)に関するウェブサイトがまとめられている。造詣の深い Kompf さんの評言も付されていて、私は随時参照して裨益されるところ甚だ大きい。こちらもぜひ。

    なお、本稿本文で「American Mavericks」シリーズに言及した部分は、Kompf さんの上掲「作曲家サイト集 Vol.2」コメント欄で私が書いた物のほぼ敷き写しです。今年の夏にまとめて聴くつもりがいまだ果たせておらず、ここでもこの正月休みに聴く……とは言わないことにしました(苦笑)。

  • そもそもどういう経路で Iridian Radio を知り、時々聴くようになったのか、実はこれまたはっきり思い出せない。英文だが、常々興味深く(記事によっては爆笑しながら)拝読している M Keiser さんのウェブログ Music in a suburban scene のブログロールから飛んだ先で遭遇したような朧ろ気な記憶があるのだが……。同氏はつい先日の12月20日付記事で、Iridian Radio を夢中になって聴いた旨を記しておられる。

…………

末尾ながら、年の瀬なので一言口上を申し上げます。

このウェブログも、開始からほぼ2年を経過しました。2年目の今年はどんどん更新頻度が落ち、ほぼ月刊状態になってしまいました。また、何分にも書き手たる私自身の興味関心がすべてに優先して話題が偏り、偏りつつも(偏るが故に?)菲才の及ばぬままダラダラと書くというあり方には、悪乗りを自ら感じるほど拍車がかかったような気がします。こうした数々の不出来にもかかわらず、たびたび訪問くださって拙文に目を通していただいた皆様に、この機会を借りて改めて御礼申し上げます。

あと2日足らずで迎える2006年が、どうかよい年でありますよう。

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BBC Radio 3: A Bach Christmas(12月16日‐25日)

投稿当初、記事標題に「(12月15日‐25日)」と誤記していました。正しくは本文にあるとおり12月16日から10日間です。お詫びして訂正します。

去る(2005年)9月15日に、歿後60年を記念して、番組横断的に Anton Webern(ヴェーベルン)の作品全曲を放送した(参照:Webern DayBBC Radio 3 が、この冬10日間をかけ、Johan Sebastian Bach(バッハ)の全作品を放送する。詳細は同局公式サイト、企画関連ページ以下にて。なお、この季節の日本と英国との時差は+9時間(なので、BBC サイトでスケジュール確認の際は9時間足すと日本時間での放送時間です)。

すでに昨日16日から始まっていて、クリスマス当日の25日まで。とくに期間中2度ある土曜日(本日17日と24日のクリスマス・イヴ)は、(現地時間)朝から翌日早朝まで、流れる曲はほぼ終日バッハのみという番組構成のようだ。演奏者には、日本が誇る(と、西洋古典音楽好きの私の例の先輩が高く評価する)鈴木雅明音楽監督率いる Bach Collegium Japan の名前も頻繁に見える。放送作品リストは、検索はできないようだが、「Index to Works by Genre」以下で。ただし、どの作品がいつ放送されるかは、地道に放送日ごとのプレイリストを見ていくしかないようだ(?)。こちらは上掲企画トップ頁、右上方のカレンダーから。

ラジオさえあれば何をしていようと手軽に聴ける英国国内と違って、日本ではネット経由のストリーミングでないと聴取不能なのは残念だが、少なくともこれから10日ほどは、気が向いたらバッハが聞ける。私がこの企画に気づいたのがつい先ほどのことで、いまも聴きながら書いていますが、曲間に簡潔な解説が入るだけで、ほぼノンストップ。

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deJune: "deJune" [self-titled]

deJune: deJune [self-titled] (Alg-a ALG012)

抑えた緊張感が全篇を静かに満たしている。その抑え加減がじつに絶妙で、聴き込むうち、深みと細部にどんどんはまり込んでいく気がする。

去る(2005年)11月末にリリースされた(らしい?)7曲・ほぼ1時間弱のこのデビュウ作 deJuneAlg-a ALG012)は、仮にジャンル分けするならば、おそらく“ポスト・ロック風”ということになるだろうか。全曲インストゥルメンタルで、主な音はギターとさまざまな電子音。ギターの音はディレイを通されて輻輳し、またほとんどの曲で深めのリバーブがかけられる。電子音はドローン様の背景音から、ノイズやその他効果音を成し、時にリズム面でアクセントをつける。

ビートなしで“持続”する

いま「“ポスト・ロック風”」と留保して書いた。一般に“ポスト・ロック”として括られる音楽では、ハイハットやその他シンバル類、バス・ドラムやスネアを或る種“規則正しく”叩いてミニマルなビートを作り、それによって曲全体を強力にドライブする音作りがみられることが多い(……と、私個人は(大して幅広く聴いているわけではないので)あまり根拠もなく思っている)。しかし、deJune のこの作品には、そうしたビートによる後押しや下支え(あるいは、ビートへの“依りかかり”)の要素がほとんどない。

例外――もっとも、7曲中の3曲なのでほぼ半分ではあるのだが――は、"d""e" それに "a" と素っ気なく名づけられた3曲だが、これら各曲でも、リズム/ビートによるドライブは主だった推進力として機能しているというよりも、あくまでリズム以外の要素と同列の働きを与えられているにとどまっている。"d" ではブラシで叩かれたシンバルが曲の冒頭から最後まで一定のパターンでリズムを刻む。"d" はドラム・セットをフルに使ったような音が入るが、オフ気味に抑えてミキシングされている。また "a" では、シンバルが曲の終結部に到ってようやくフェード・インしてくる、といった程度だ。

それでも、このリリースで聴くことができる deJune の音楽は、確固たる存在感を聴き手に与える。“ポスト・ロック”の多くの曲(実態としては、あまりにも多くの曲/バンドが、この“公式”に頼り過ぎている気もするが)に共通するリズム/ビートによるドライブは、このジャンルにとっては或る意味で避けて通れない“お約束”であると同時に、欠くことのできない文字通りの推進力でもあると思う。しかし、今作で deJune が、一聴判然とするようなかたちでそれを用いることなく、アルバム7曲全篇にこれだけのまとまりを与えることに成功しているのは、実はなかなかに大変な力業ではないだろうか。言ってみれば本作は、サウンドスケイプ/アンビエント音楽の音作りと、メロディ・ハーモニィ・リズムを具えた従来のいわゆる“音楽”との間に、絶妙のバランスで立っている。

サウンドスケイプ(soundscape)はそれなりに耳にする言葉ではあるものの、厳密にはどういうものを意味するのか、恥ずかしながら私自身はよく知らない。ここで漠然と指そうとしているのは、フィールド・レコーディングなどによる自然音を多用したうえで楽器演奏など音楽的な要素を加えて作ったサウンド・コラージュのようなものだが、そういう用法は果して適切かどうか。参考:英語版 Wikipedia soundscape の項

こうした意味で、deJune のこのアルバムは 最近の Tarentel の音/音楽(→関連拙稿1)を思わせる。最初ほぼ“典型的な”ポスト・ロックのバンドとして出発した Tarentel は、最近の一連のリリースでますますサウンドスケイプと“音楽”との融合(と言うべきか、ジャンルの境界面を意図的に攪乱しようとしていると言ったほうがよいか)を試みているように思える。本作の deJune も、それと極めて近い音を出している。あるいは、再び Brian Eno の言葉(リンク先は Enoweb, Music for Airports ライナーノート)を借りれば、明瞭なリズム/ビートがさほどなく、かつ“アンビエント風”な音が多用されているにもかかわらず、本作で聞こえてくる音楽は「無視可能」なレベル(極?  →関連拙稿2)にはほとんど入り込んでおらず、逆に全篇を通じて聴き手の注意力を逸らさない。

耳慣れた音を集めて

サウンドスケイプ/アンビエント的な音作りと、エレキ・ギターを使ったコード・ストロークやアルペジオその他で奏でるより“音楽的”な要素を巧みに重ね合わせたこのアルバムは、しかし個々の音を聞き分けてみると、新奇な音はほとんど鳴っていないことがわかる。もちろん、ギターの音は編集を加えられ、種々のエフェクトをかけられてはいるものの、主要な音色はエレキ・ギター特有の、それなりに温かみのあるナチュラル・ディストーションだ。

同様のことは、さまざまに加工・合成されたギター以外の電子音についても言える。吹きすさぶ風の音や地面をかすかに揺らすようにゆっくりと轟く低音、背景を成すアトモスフェリック(atmospherics)――こうした音は、ほとんどがそれなりに耳なじみのある音色で、言ってみれば“使途/効果実証済み”のものだ。

耳慣れたギターと電子音とを合わせたとするなら、deJune の音楽はつまらないものにならざるをえないのではないか?  これが不思議なところで、そうはなっていない(と私は思う)。彼がいわばありふれた音を組み合わせて、どうやってこうした音/音楽を作り出したのか、私には残念ながら理解できる由もない。しかし実際に聞こえてくるのは、冒頭で述べたとおりの、抑制の効いたテンションが全篇を支配する、不思議な音/音楽なのだ。

そして、奇を衒わない耳慣れた音を素材として使って、組み上げられた音楽は総体としては実に耳新しく聞こえる、という意味では、deJune のこの作品は、Labradford の、ほとんど Moog シンセと大してエフェクタを通さない地味なエレキ・ギターの音だけで創った初期のアルバムがもつユニークさに、いささか通じるところがあるように思う。

ミュージシャン

deJune の音楽が“ポスト・ロック”なのかどうかは措くとして、彼の音楽キャリアは、地元ロック・バンドのギタリストとして始まった。彼はスペイン北西部、大西洋沿岸に位置するガリシア(Galicia, 参考:Wikipedia 英語版 同地域の項)の人。ガリシアは、ケルト系の出自を誇る自治州だそうで、私はスペインに、バスク(Basque、やカタルーニャ Catalunya)のほかにもこうした独自の文化と伝統をもつ地域があることを、恥ずかしながら今回初めて知った。標記のアルバムをリリースしたネットレーベル Alg-a もまた、この Galicia に本拠を置いているそうで、レーベルは deJune の友人の一人、Isaac Cordal さんが運営している由。Cordal 氏はまた、ネットレーベルの母体となっている(らしい)Alga.com の主宰グループの一員とのこと。

deJune がギターを弾き始めたのは16歳の頃のことで、それ以来15年近く続けており、ギターが彼のメインの楽器だ。最初のロック・バンドの後、もうひとつのバンド Allgodown の結成に、同じくギタリストとして参加した。上記頁の記述によれば、Allgodown は“エモ(emo)”・バンドだった(そうだが、残念ながら本校執筆時現在、この Vitaminic という音楽/音源紹介(?)サイトは改装中で、フリーの試聴はできなくなっている)。御本人によると、レパートリーにはヴォーカル入りのものも何曲かあった由。その後、この二つめのバンドを脱退してから、deJune はソロとして音楽を創り始めた。ただし、Allgodown のもう一人のギタリストとは今もつながりがあって、共作を計画中。

セルフ・タイトルの標記デビュー作を作るのに、約2カ月(僅かに!)かかったそうだ。その間、曲作りから自分自身の出す音の録音、編集とミキシングまで、完全に独力でこなした。今作で使った楽器・機材は、「エレキ・ギターとちょっとした電子ピアノ、それらから出した音を MIDI コントローラの BCR2000 に通して、さらにコンピュータ上の Cubase SX へ」。このセットアップで彼は今も試行錯誤を続けており、まずノイズめいた音から始めて、ギターやソフトウェアを使って徐々にそれに手を加え、望みの音が出来上がるまでこの過程をくり返す。作品では或る種の「雰囲気(atmospheres)」を作り上げることを目指していて、それがたいていは「悲しい主題(sad themes)」を持つものになっている、とのこと。友達が deJune に「うまく目標を達成できているじゃないか」と言ってくれたそうだが、私も同感だ。

最初にメールでコンタクトをとった時、私は上でつらつら書いたようなことを(かなり端折って)述べ、Tarentel と初期の Labradford の音に似ていると思ったとも言った。個人的には、物を創る人に対してじかに「先行する誰それに似ている」という話を持ち出すのは失礼な気がするので、かなり気後れしつつ書いたのだが、deJune は意に介さず、そう思ってもらえるのは嬉しいという趣旨の返信をくれた。彼が影響を受けている/好きなミュージシャンは、これら2つのアメリカのバンド(と Pan American)の他に、Godspeed You! Black Emperor/Silver Mt. Zion を擁するレコード・レーベル Constellation の音、さらには「Eno, Faust, Cluster, Heldon, Magma, Neu, Can, Isan, Manyfingers, Boards of Canada, Cerberus Shoal……」、換言すれば「別次元を向いて音楽を創っている人たちなら誰でも(everyone who's looking to the other direction)」である由。ロック系以外では、ジャズと現代音楽もよく聴くそうだ。また、deJune は映画も大好きで、ことに小津・黒澤・北野を筆頭に日本人監督の作品は高く評価しているとのこと。

今後のプランを尋ねた。すでにソロ二作目の制作に取り掛かっているけれども、いつごろ完成するかは御本人にもまだわからない由。たぶん数カ月はかかることだろうが、次作を待つ間、私はこの1作目をまだまだくり返し聴いて飽きない気がする。

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  • deJune のストリーミング/ダウンロードは、上掲の Alg-a ネットレーベル、リリース頁、また Internet Archive の 当該頁で。

    なお、これとほぼ全同のリリースが、同じく Internet Archive の Open Source Audio セクションにも収録・公開されている。違いは、Open Source Audio 所収ヴァージョンでの1曲目 "a" のほうが6分53秒と長尺で、Netlabel セクションのほうは3分58秒になっている点。ミュージシャン御本人によれば、どうしてこうなっているのかよくわからない(笑)のだが、自分としては長いほうを正規のリリースとみなしたいとのこと。

    本作の権利関係については、www.alg-a.com にあるさらに別のリリース頁によれば、クリエイティブ・コモンズの by-sa(帰属・同一条件許諾)ライセンスに基づいて公開されている。本稿冒頭の画像は、このアルバムの“カヴァ”画像で、許可を得て縮小のうえ掲げた。deJune の友人が撮影した写真をトリミングしたものがオリジナルである由。

  • また Webjay プレイリストを作ってみた:deJune。これにはすぐ上でふれた "a" 長短双方のヴァージョンへのリンクを含めている。

    もう1本、リリース元ネットレーベル Alg-a の現時点までの既発作品すべてから、私自身の好みに合ったものをダイジェストして、プレイリストを作っている(今後、随時拡充する予定):Alg-a sampler。このレーベルは、現状では電子音を多用した作風のものが多数を占めているが、エレクトロニカとして括れるようなポップな感じというより実験的と呼んでいいユニークな音楽を集めている。それでいて、実験的なものにありがちな独りよがりがあまり感じられないという意味で、高い水準を維持していると思う。

  • 末尾ながら、本稿執筆にあたってご協力いただいた deJune に感謝します。お互いにとって不自由な英語でのやりとりにもかかわらず、懇切に対応していただきました。Graciñas!(は、ちょっと調べたかぎりではガリシア語で「ありがとう」のはずですが、正しいかどうか?)

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Sinestetici: "The Definition of Imperfection"

Sinestetici: The Definition of Imperfection (drift001)

歌入りエレクトロニカの秀作。ジャンルを問わず、ネットレーベルで聴かせるヴォーカル入りの音楽に出遭うことは、残念ながらまだまだ少ない。このリリースはその優れた先駆と呼んでいいと思う。

Drift Records という、今年(2005年)5月頃に設立されたネットレーベルから第1作として公開されたこの6曲・28分強の“EP” The Definition of Imperfection (Drift Records, drift001) は、レーベルの門出を祝う最初の作品にふさわしく、曲・歌唱・バッキングの音や編曲のいずれをとっても出色の出来映えだ。

この作品の魅力は、言うまでもなくヴォーカルで曲・詞も書いている女性、Sinestetici こと 米国テキサス州 Austin(オースティン)出身(あるいは「ワシントン州シアトル」在住(?)とも)の Samantha (Sammie) Ryan だ。

彼女の歌声は、たとえばこの EP 5曲目の "Vision" で聴くことができるように、高音域では非常に澄んでいる。いっぽうで、中音域から低音域にかけては、ちょっと不思議な力強さを感じさせる。とくにオン・マイクで掠れ気味に聴かせるところ、たとえばキャッチーなメロディをもつ1曲目 "Wrong" の歌い出しの部分などは、力まず女性らしさを感じさせながら、しっかりとした説得力がある。声の表情が豊かであるぶん、歌い方も多彩で、ふわふわとした透き通った感じから物憂さ、悩み惑うさま、悲しみ……など、さまざまな情感が表現されている。

最初にこのリリースを聴いたとき、私がまず魅かれたのは Sinestetici のこの声だった。

音作り

そして、彼女の声と同じくらい魅力的に思えたのは、この EP 全体を通じた音作りやアレンジだ。このミニ・アルバムの“ジャケット”画像ファイルには、KiloWattsDoFDaigoro(現在は Erstlaub 名義で活動中の由)という、3人のDJ/ミュージシャンの名前がクレジットされている。Sinestetici の声は、才能豊かな彼ら3人の手で巧みに処理されている。エフェクトをかけ、あるいは一旦バラバラにされ繋ぎ直されてリズム・トラックとして使われるさまは、KiloWatts がその伎倆を厭味なく見せる3曲目 "Reflective Defector" や4曲目 "Ideal Chameleon" 、また DoF との3曲の共作のうち EP の掉尾を飾る "A Love Song" の終曲部に明らかだ。

楽器の使い方もうまい。全般に過度に電子音で満たさず、ギターやピアノなどアコースティック楽器のやわらかい音を随所に使い、メロディの良さとヴォーカルの魅力を存分にひき出している。

毎度のことで、どうやってこうした素敵な音ができたのか、ミュージシャン御本人にメールで伺ってみた(女言葉で物を書いたことはないので、和訳の拙劣さはあらかじめ御寛恕を願っておきます。英語原文はこちらにて):

歌詞は、"Vision" を除いてどれもわたし自身のオリジナルです。"Vision" は17世紀アイルランド起源の古い聖歌(hymn)なの。曲のほうも全部わたしが書いたものだけれど、こうして出来上がった音を聴くと、わたしが作曲したと言っては申し訳ないくらい。現在のネットレーベルの世界でも最も才能豊かな何人かの人たちと一緒に音作りをすることができて、自分は恵まれすぎていると思えるくらいの気持ちです。

信じてもらえないかもしれないけれど、この EP の制作に携わったミュージシャンとわたしとは、完成まで一度も実際に顔を合わせたことがないの。最初から最後までネットを通じてやりとりしました。わたしたちが知り合ったのは、ファイル共有プログラムの Soulseek を使っていたのがきっかけ。KiloWatts と共作した2曲では、電話で彼とずいぶん時間をかけて議論したりプランをたてたりしたんだけれど、彼とも実際には会ったことはなかった。曲作りの実際の進め方は、たとえばまずわたしが、自分で「これはいいな」と思った音を彼らにファイルで送る。彼らのほうではそれを素材にしていろいろ試してみて、もうちょっと違う音がほしい、ということになると、彼らがわたしに、言葉でできる限りで「こうしてほしい」という要望を伝えてくれる。そんなふうにして、お互いできるかぎり最上のものを出し合って音を作っていった。こういうやり方だと、わたしはとくに自分のヴォーカルで制作上のイニシャティヴを発揮できるから、いろいろ冒険する機会もたくさんあって、音作りのプロセス全体が本当に楽しかった。それに、ファイルを交換しながらする曲作りって、思ったほど手間がかかるわけでもないの。

歌詞

私がそもそも Sinestetici こと Sammie さんに直接コンタクトをとってみることを思い立ったのは、彼女の音楽が魅力的だったこと、ただし(残念ながら英語は私の母語ではないので)歌詞がほとんど聞き取れなかったため、彼女はいったい何について歌っているのだろうと思ったからだった。幸いにも Sammie さんはすぐに(歌詞を添えて)返事をくれた。

彼女の許可を得て、印象的な歌詞(部分)をご紹介する:

Well I'm sorry
I'm so wrong
but I've been
telling you the truth
all along
and you've only believed what you tried to perceive
and what you wanted me to be
was nothing short of nothing that i am
but i adore you still
and i guess
nothing can and nothing will
change the way i feel
like I'm not good enough
in any way
to make you want to stay
or say
"I'll be there tomorrow morning"

〔趣意: ごめんなさい、わたしが間違ってた/ でもわたしはずっと本当のことしか口にしなかったのよ/ あなたが自分の見たかったものしか信じなかっただけ/ それは本当のわたし自身とはまったく別なもの/ だけどわたしはまだあなたを好き/ それでもわたしの気持ちは変わらないみたい/ あなたをひきとめられるほど魅力がない気がする/ あした会いましょうなんて言えない〕

"Wrong" から

ラブ・ソングと言って間違いはないだろう――ただ、この一人称の「わたし」はたぶん、年齢や性別を問わず誰でもありうるし、ここで描かれているような人間模様は、それが大切な人との関係でありさえすれば、どんな場合にも当てはまるような気がする。

こんなふうに、Sinestetici が歌う歌詞もまた、素直な言葉遣いでありながら情感や想いに満ちた魅力的なものだ。

…………

また言葉を連ねて書いてみたが、とどのつまり、The Definition of Imperfection は非常に印象的な作品で、くり返し聴いてもなかなか色褪せない。Sinestetici の確固とした存在感をもった女性らしい声、それが歌う感情移入を誘う詞、そして手が込んでいながら決して度を越さない丁寧な音作り――これを初めて聴いたとき、私が真っ先に連想したのはエレクトロニカに踏み込んで以降の Everything But The Girl (ebtg) だった。おそらく、この連想は少なくとも現時点ではそれなりに有効だろう。違いは、Sinestetici はいわば現在進行形の才能で、今後のリリースできっと聴き手(の私)のこうしたやや安直な予想を裏切る活躍をしてくれる、それが十分に期待できる、ということではないか。

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  • まずは権利関係を先に。The Definition of Imperfection は、クリエイティブコモンズの by-nc-nd (帰属・非営利・派生禁止) ライセンス下で公開されている。

    冒頭に掲げた画像は、この EP リリースのカヴァ。作者は Drift Records の創設者(で自身もミュージシャンの) Rochie さん。

  • Sinestetici こと Sammie さんのウェブサイトには、上掲のこちらに加えて、どうやら公式のものらしい Sinestetici 別サイトが、Drift Records ドメイン内にある。そこから彼女の公式メーリングリスト(告知専用)へ。

  • Sinestetici の曲はすでに12インチ・シングルとCDに収録されているようだ。

    12インチの音源サンプルが、Streetwise Music というオンライン・レコードショップの Kilowatts: Ideal Chameleon 頁で試聴可能(各2分ほど)。このシングル盤リリース元は Sober Music

    "Ideal Chameleon" は、売れっ子DJ(らしい、私はこの方面についてもまったく昧い)Max Graham のコンピレィション(?) Mixmag Live にも収められている由。

  • いつものとおり、Webjay でプレイリストを作ってみた: Sinestetici。標記リリース全曲に、彼女のウェブサイトで公開されている "Sammie Gets It On" (ちょっと実験的な音で、これもおもしろい)へのリンクも含めた。また、Drift Records の既発リリースには、今作で存分に腕を振るっていた DoF の単独アルバムも含まれている。こちらもプレイリストにしてみた: Drift Records sampler

  • 末尾ながら、いくつかの質問に懇切にご回答いただき、この拙稿での歌詞の公開を含めさまざまなご助力を賜った Sammie さんに、重ねて御礼申し上げます。

  • 〔2005年11月15日追記〕 前回更新からまた間が空いてしまったにもかかわらず、いつもどおりノロノロと本稿を書いていたら、精力的に多数の魅力的な音楽を(ネットレーベルに限らず)紹介しておられる egal さんのウェブログ pure, impure、05年11月13日付エントリ「Sinestetici」で Sammie さんのこのリリースが紹介されていた。

    Sinestetici 関連では、これ以外にも egal さんは、DoF の Drift Records でのリリースの紹介記事、上掲の Sammie さんの音作りのところでも出てきた Soulseek 関連のプロジェクト/レーベルの記事などを書いておられる。私も常々拝読していろいろ参考にさせていただいている。ご一読をお勧めしたい。〔05年11月15日追記終〕

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Marsen Jules: "Herbstlaub"

Texture #23 by Yaal., ad Marsen Jules' Herbstlaub

むかし小遣いをはたいて買った安物のギター・アンプには、これまた明らかに安っぽい音を出すスプリング・リバーブが内蔵されていた。“ペナペナ”といった擬声語で言い表したくなる薄っぺらな残響しか出せなかったため、ほとんど実用に耐えなかったが、筐体を叩くとバネが揺さぶられて鳴る例の金属的なグシャーンというノイズとともに、妙に懐かしいような音だった。

今は、単体であれアンプ内蔵であれ、エフェクタとしてのリバーブはほとんどデジタルで電子的な処理にとって替わられたのだろうか。一部の高級機はまだまだ健在のようだが。スプリング・リバーブの、あのいかにも「メカです、金物です」と自己主張しているような触知可能な存在感を知っている人も、今後は減っていくばかりなのかもしれない。

減衰あるいはディケイ

リバーブ、残響が、そこはかとない悲しみに似た情感を聴き手にもたらす(ことが多い)のは、なぜだろう。書きながら考えてみて、唐突だがそのありさまは雪に似ているという気がした。積もって醜い表面を隠し、起伏を埋めて均(なら)し、時間の経過にしたがっていずれは融ける雪。あるいは水面に広がる波紋。光を散らし、波高を徐々に低めてやがて鎮まる。リバーブもまた、元の音の尖りを和らげ、靄のように空間に拡がって、やはり時間が経つにつれて減衰して消える。

またリバーブのかかった音には、演奏技法により人為的に弱音化された音とは異なる何かがあるようにも思う。たとえばギターなら、弦を弾いた直後から、弦の震えは弱まり始める。何もしなければ、出された一音のいわば“一生”は、さほど長くない。これにリバーブがかかると、そのままにしておけば自然と聞こえなくなるまでの間をはるかに引き延ばして、まるで高速度撮影された映像を見ているように、刹那が次々と粒立つ。そして死ぬ。

なんとなく悲しい気分にさせるリバーブの効果は、結局、こうした儚(はかな)さを際立たせて、(実際はあくまで聴感上のことだが)“目の当たりに”意識させるところにあるのか。音圧の減衰を英語では decay と呼ぶ。音は残響のなかで朽ちる。

“枯葉”

……という、まことにとりとめもないことを書いたのは、Marsen Jules 名義(リンク先は公式サイト、要 Flash)で活動する Martin Juhls の音楽を聴くたびに、「スプリング・リバーブのような音だな」(正しくは「スプリング・リバーブを通して聞こえてくるような」と言うべきなのだろう)という感じをいつも抱くからだ。おそらく、このドイツの若いミュージシャン(生年未詳だが、見かけから推してまだ二十代だろう)は、制作の過程でスプリング・リバーブを実際には使ってはいないのではないかと思う。

それにもかかわらず、なぜアナログのリバーブ・エフェクタを通したような音だと思ってしまうのか。たぶん、彼の作る音全体に感じる、薄く紗のかかったような印象――下手をすれば造作の悪い電気回路が増幅するヒス・ノイズに覆われてしまうが、その直前で踏みとどまっているかのような――実に特徴的な響きのためかもしれない。腹に響くような重たい低音域が抜けていて(あるいは、少なくとも目立たず)、中音域から高音域が強調され、ほとんどその音域だけで構成されている(ように聞こえる)のも、浮遊する感じを強めている。そして、彼が使うリバーブ効果は、概して減衰時間がかなり長い。

標記の HerbstlaubCity Centre Offices, Towerblock CD 023)は、Marsen Jules によるCD/LPリリース第1作。今年2005年2月に出たこのアルバムを、私は最近になってようやく入手した。アルバム名は「秋の(群)葉」あるいは「枯葉」を意味する由。アルバム・タイトルはドイツ語で、いっぽう曲名はすべてフランス語で付けられている。全6曲、39分強。長尺の曲はなく、どれも5分から7分程度の長さだ。

全体の印象は平板と言っていい。劇的な展開はなく、息の長い旋律も明白なビートも、優れた技術で聴かせる楽器演奏もない。全篇を通じて、サンプリングされた(と推測される)ストリングスやハープ、もしかしたら生録音したものを使っているかもしれないアコースティック・ギターやさみだれ式に鳴らされるピアノ、それにおとなしい音色のシンセサイザが、厚い層を成すように積み重ねられている。

ただし、ここで言う“平板さ”は、ほぼ確実に意図的なものだろう。いわゆる“アンビエント/アンビエンス”、聴き手の意識に乱暴に侵入することがないスムーズさを達成するべく、方法的に選択されているように思える。そして、それは一定の成果を挙げている。また、「厚い層を成す」という表現も誤解を招くかもしれない。どの曲もほとんどの部分でそれなりに多くの音が用いられて同時に鳴っているのだが、そこには重苦しいような重厚さはない。どれも比較的短いパッセイジを繋げていってまとめ上げた感じで、かえって軽やかだ。こうした音の作り方も、先述のとおりイコライジングなどのミキシング技術によるものかもしれず、私が「スプリング・リバーブのような音」と感じた所以でもある。

…………

こうやって書いてくると、否定文やネガティヴな印象を与えがちな形容ばかりで、毎度自分の褒め下手加減にも嫌気が差してくる。実際はかなり気に入っており、よく聴いています。これまでの作品でみるかぎり、Marsen Jules の音楽に固有で最も優れた点は、彼のほとんどの曲に共通して聴くことができる独特の響きだろうと、私は考えている。録音やミキシング技術にまったく昧いわが身を省みず、音の作り方について贅言を費やしたのも、その響きの成り立ちを自分なりに考えようとしたためです。

このアルバム Herbstlaub は、曲調や楽器構成(ストリングス+シンセ+その他若干のアコースティック楽器音)の点で、 "Couer Saignant"Sutemos(→関連拙稿12)のコンピレィション Red, Green, Blue & Other Summer Feelings 収録)におそらく最も近い。今後どのような展開をみせるのか、楽しみにしている。

Marsen Jules の音楽は、下記のとおり、ネットレーベルで多数公開されている。ぜひ聴いてみていただきたい。

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  • お口直しに、まともなレヴュウをいくつか(いずれも英文):

    • オーストリア(墺)のドメインにある CRACKED、2005年3月付レヴュウHerbstlaub 全体の印象を述べたものとしては、もっともまとまった批評かもしれない。

    • 05年2月付 textura 所掲のレヴュウHerbstlaub リリースを機に、ネット・リリース2枚(下記参照)と併せて、Marsen Jules の音楽の特質を論じている。いつもながら優れたレヴュウ。

    • Spencer Grady さん執筆、Dusted 所掲、05年6月8日付レヴュウ

    • 最近刷新された Brainwashed、Matthew Jeanes さん執筆の05年3月27日付レヴュウ。やや辛口。このレヴュウ最後の一節は、私自身もこのアルバムを聴いてみて共感できる部分がある。

    なお、これらレヴュウのいくつか(たとえば textura のもの、および下記 autres directions インタヴュウ)には、Marsen Jules に先立って、Wolfgang Voigt(と Ekkehard Ehlers)が Gas という名義でリリースした何枚かのアルバムと、Marsen Jules の音とがよく似ているという指摘がある。Gas は未聴(というか、存在そのものを全く知らなかった)で、一度聴いてみたい(が、どうやらほとんど廃盤か入手困難らしい)。

  • 周知のとおり、Marsen Jules 名義の作品は、ネットレーベルでのリリースが先行するかたちで発表されている。私が彼の音楽を最初に耳にしたのも、標記のCDを通じてではなく、Internet Archive でいろいろ聴き漁っている時だった。アルバムとして以下の2枚がある(リンク先はリリース元の Autoplate 公式サイト、各アルバム頁):

    1. Lazy Sunday Funerals (Autoplate APL017、2003年10月)

    2. Yara (同 APL023、2004年7月)

    1、2とも、Herbstlaub と比較するとやや実験的な側面が窺える。たとえば、1は人声(女性ヴォーカル(のサンプリング?))や薄いビートが導入された曲を含んでおり、また2ではピアノ・チェロ・ヴァイオリンのトリオ Yara の生演奏の録音を素材に使っている。

    この2枚のほかに、Autoplate および Sutemos でのコンピレィションへの参加作や他人の作品のリミックスなどが、ネットレーベルで公開されている。網羅的なリストは、御本人の公式サイト内、「Mp3s」セクションにて。

    その「Mp3s」リストに従って、また例のごとく Webjay で Marsen Jules 名義のネット・リリースをプレイリストにしてみた(→Marsen Jules)。また、Herbstlaub 収録曲(部分)の試聴も、同「Releases」セクションで(アルバム・カヴァ画像をクリックして)可能。

  • ミュージシャンのバイオグラフィ/プロフィール:

    • Autoplate の「KRILL.MINIMA / FALTER / MARSEN JULES」プロフィール。そこにもあるとおり、Krill.Minima と Falter は、Marsen Jules こと Martin Juhls の別名義。(なお、Sutemos にもプロフィールその他関連記事があるはずだが、英語版サイトがここ数カ月不調のため、私は確認できていない)

    • Dusted 特集記事、ミュージシャンに好きな音楽をリストアップしてもらう「Listed」「Solvent + Marsen Jules」(05年4月22日付)。Leonard Cohen、Neil Young, Spokane などはちょっと意外か。

    • フランスのユニークな芸術系(?)ウェブサイト(ネットレーベルももつ) autres directions による、電子メール経由インタヴュウ(05年3月9日付)。Marsen Jules という名前は、彼の本名 Martin Juhls を電話で聞き間違えられたのをそのまま使っている由。

  • 公式サイト「News」05年8月23日の項から。フランスで開催された La Route du Rock フェスティバルに8月12日出演した際の音と映像が、下記から試聴可能:

    • (10分弱、.rm ストリーミング)。「Ven 12.aoû | 16h00」(8月12日金曜日16時)の条参照。パーカッションが入っており、ヴァイオリンその他も生演奏そのままを使っている感じ。

    • 2分強の映像。こちらに収録された場面では、その場で演奏されている弦をサンプリングして種々のエフェクトをかけているようだ。従来のアルバムと同種の音を出している。(ついでながら、このページからはいずれも2分ほどの尺と短いが、上記フェスティバルでの The Cure や Mercury Rev のライヴ映像も見られる)

  • 冒頭に掲げた画像は stock.xchng から、ポーランドの Yaal. さん撮影(リンク先は彼女のポートフォリオ)「Texture #23」。縮小して使わせていただいた。記して感謝します。

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