“正体未詳”の短篇作家、登史草兵のこと
本稿は、以下でも述べるとおり、ウェブサイト探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち主宰様よりご教示いただいた情報に内容の大半を負っている。当方から唐突に差し上げた煩瑣な問い合わせにすぐさま懇切な返信をくださり、なおかつその情報の拙稿での紹介をご快諾いただいた同氏に、冒頭に記して厚く御礼申し上げます。
伝えられるところによれば、短篇わずか3篇を公刊したのみ、その後は筆を折って消息も失われた作家、登史草兵による見事な作品「蝉」を読んだ。
「蝉」
「蝉」は400字詰め30枚強の短篇であるにもかかわらず、堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説だ。物語の舞台は、一人称「私」によってこんなふうに語り始められる:
その山頂に連なっている邸は砦(とりで)と呼ばれていた。山の名前が砦山と名づけられていた為だろう。頂(いただき)の半分を占めている二十坪程の邸はがっしりとした骨組と、周囲に撥ね上った古風な屋根の工合など砦というよりも寺院と呼ぶ方が適(ふさ)わしかった。山は不気味な濃緑をもつ松の樹に覆われている。近寄って眺めると想像に余る巨蛇の鱗腹(りんぷく)を見るようで生理的な嫌悪を催させた。今はまだ山つつじが余命を保っていて、その紅が全山を点綴(てんてい)していた。
沈鬱な書き出しは、この話が悲劇であることを暗示している。そして何より、過不足ない描写と腰が据わって落ち着いた文体とに、私はまずひどく興味を惹かれた。漢語の多用(……というよりも、昨今の作家が(編集者による手入れと相俟って)版面が“黒く”なることを嫌って避ける漢字の頻出)も、徐々に明らかにされる悲劇の内実と釣り合うに十分な重みを文章に与えている。自家薬籠中のものとなっていて浮ついた感じがしない。
この語り手「私」は、こんな男だ:
いや、あの邸には誰も住んでいない筈だ。亡夫の莫大な遺産を相続した女主(あるじ)は五年前に世を去り、その独り息子はその年の末に東京へ走った後は、山も邸も依然としてその人の名義になっていながら、恐らく誰一人借りて住もうとしないのだ。邸内は五年間の塵(ちり)に塗(まみ)れ締め切った窓は錆びつき、恐ろしい程ひそまり返っていよう。人の噂にきけば、家を出た息子は美しい妻をもち幸福に暮らしているとの事である。だが彼の現在は噂に反して不幸であるといえぬ事もあるまい――。
そうだ、私は知っていたのだ。かく申す私がその本人なのだ。五年の間一度も訪れようとしなかったのは、物心ついてからの二十余年間すっかり身にしみた孤独の淋しさも大都会のめざましい活動に感化されて、再びあの雰囲気に触れるのが空恐ろしかったからだ。
父親を早くに亡くし、孤立した山上の古い「砦」屋敷に暮らす、経済的には何一つ不自由しない母子家庭。そこで育った「私」。物語には、彼を除けばあとは女性しか登場しない。上の引用箇所でいう「女主」たる「私」の母親、「砦」を下りて東京で出遭った「私」の妻「蛍子(けいこ)」、そして、「私」と母との安逸な蜜月を壊すきっかけとなった(また、その限りの役割しか物語のなかでは与えられていない)、青年時代の「恋人」。
「恋人」を得て、若さにまかせて結婚を決意した「私」は、母親によって激しく反対される。
「もし、その娘と限らず、お前が嫁を貰ったら、私は必ずその女を殺してやる!」
「そりゃひどい! それじゃ私は一生妻を貰えなくなります」
「私の他にお前には女は不必要です」
「母と妻は一緒になりませんよ」
「私はお前を何よりも愛しています。お前も私だけを愛すればいいのです」
「そんな厭な言い方は止めて下さい。私を拘束する事はできません」
息子が自分を捨てて他の女のもとへ走る時にはその女を殺すという、母親のこの常軌を逸した物言いには、隠微な伏線がある。彼女は一人っ子の「私」を18歳で出産、32歳のとき夫に先立たれたが、遺産により生活苦はない。「美食と化粧に日を送っていた為に非常に若く見え、私は母を眼の前にしながら、どうかすると姉ではないかと疑う事さえあった」。そして(下記の引用箇所は上掲の会話を若干遡る):
……〔略〕……私は二十何歳になっても母の傍にベッドを並べて寝ていた。十五の年までは母と同じベッドに入っていたが、母は幼児からの習慣で私の身体を万遍なく撫で廻すのであった。私はそれ以上一緒に寝るのを嫌ったので、母は止むなく離したようである。しかし私の身体を愛撫する事は依然として止めなかった。
子供の時ならいざ知らず、青年らしくなった私の潔癖は耐えられない汚辱と嫌悪で一杯だった。母の妙に粘りっこい掌が私の寝衣の下を繰って身体の隅々を撫で廻ると、羞恥の念に血がかーっと上って、思わず母の手を強く払い退けた。その度に母は渋々手を引込めるのだが、眠くなる迄は何度でも忍ばせてよこした。それが毎晩続けられるのである。よくよく内気に仕上がっていた私は強い言葉一つ吐けず、夜の来るのを脅え神経衰弱気味になったのは当然だった。
二十歳を過ぎてからは拒否の態度を曖昧(あいまい)にしておけなくなった。なぜなら私はいつのまにか母の愛撫に快感を覚え、若い血潮を興奮させる事が間々あったからだ。一方では愛撫の手を待ち受けていながら、健全な良心はこの不自然な愛を忌(い)んで強く憎み、四六時中罪障感の中にあった。
「私」との続柄すら疑わせるほど濃密な、母親からのインセスト的愛情と嫉妬、そして人里離れた山中の屋敷での孤立。道具立てはこれで揃う。物語はこうして背景を明らかにして舞台を整えた後、5年ぶりに戻ってきた「砦」での「私」の行動を描く。彼のもとにはすでに誰もいない。母は亡く、妻も突然姿を消した。物心ついてからの記憶と情念とが文字通り染みついているような邸に独り。
――気がつくと私はいつしかテーブルに俯伏(うつぷ)して眠っていた。ふと眼ざめたのは邸内で蝉のなき声をきいたからである。先刻入り込んだ蝉だろう。しかしはっきり眼ざめてくると蝉の声は止んでいた。「母は蝉が好きだった」 この追想がなせる幻聴だったかもしれない。頭が半分圧(お)し潰されているようで、私はまだ眠りの中にいるのではあるまいか? 時間はあれから幾らも経っておらず、午後の二時である。私は部屋に風を入れるべく窓をあけた。眩(まば)ゆい陽光が部屋の金箔に反射して輝き、長年の鬱積が吹き払われて行くのをまざまざと感じられた。何気なく窓際の椅子に眼を落とした途端私ははっとなって眼を疑った。椅子には積ってあるべき塵が見当らず、現在使用されている如く綺麗に拭われているのだ。次いで私の視線は当然床の上に向かった。「あった!」 私の靴跡とは違うスリッパの跡がくっきりと捺(お)され、扉の所で尽きている。扉を開くと更に廊下に延びている足跡は、――私の総身は水を浴びたようにぞっとなった。その足跡は寝室に続いていた!
……ここから先は、やはり実際に作品を読んでいただくしかない。なぜ母親は、あからさまに近親相姦的な愛情の示し方を「私」に対してしたのか。「私」の妻が、失踪当日までまったく何の異状もなかったにもかかわらず、唐突に姿を消したのはなぜか。妻はどこにいるのか。すでに伏線部分で謎はいくつか用意されている。そして、無人だったはずの邸には真新しい足跡がある。なぜか。誰がいるのか。
「堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説」と冒頭に書いた。その所以もまた、初読の興趣をそぐことなくこんな駄文でほのめかすことすら、私の手には余る。多めに引用したのは、この作家の文章がもつ魅力をできるだけ直接ご覧に入れたかったからだ。これに加えて、実際の作品では、巧みな語り口とプロットの錯綜とによるまさしく目くるめくような揺らぎ、強烈な眩暈のようなものが、直前に示した引用箇所あたりから最後の一文へ向けて畳み込み、なだれ込むように続く。
活字になった情報
私はこの「蝉」を卒読、感嘆して再読三読した。登史草兵とは寡聞にして初めて目にする名前だ、いったいこれほどの秀作を物したこの作家はどういう人で、他にどんなものを書いたのだろう。私がこの短篇を読んだアンソロジー『夢見る妖虫たち』(書誌関連の詳細は後述)巻末には、わずかに以下のような「著者紹介」が付されていた:
詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという。わずか数篇の創作で筆を絶ってしまった。『蝉』は雑誌「探偵実話」に発表された、その数少ない作品のひとつである。
しかしこれだけでは何もわからないに等しい。可能であれば他の作品を読んでみたい。そこでまた、例のごとくにウェブ上での検索を試みたのだった。
本稿執筆時点で改めて検索エンジンにて「登史草兵」を検索語にして結果を見たが、Google(日本)で20件強、Yahoo(日本)と Ask.jp で16、7件程度だ。私が最初に検索してみた時もおそらくこれと同程度だったはずだ。しかも、検索でみつかる記述の大半は、この作家の「数少ない作品」を収めたアンソロジーの収録作品を列挙したなかに、この名前が作者として併記されたかたちで現れるものだった。
唯一といっていい直接的な収穫は、この作家の「葦」と題された短篇が別のアンソロジーに収録されており、現在でも比較的容易に入手可能だと判明したことだった。それが鮎川哲也編『怪奇探偵小説集』全3巻の2巻めだ。同書は作品ごとの中扉見返しに簡略な著者紹介を付している。そこにはこうある:
登史草兵(とし そうへい)
本名は斎藤草兵だという。大正十年山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない。昭和二十七年に登場して短編を三本書いただけで、早くも二十九年には筆を折っている。
また、編者執筆による巻末「解説」の登史草兵作「葦」の条には、やや詳しい記述がある:
掲載誌は「探偵実話」昭和二十八年三月号。氏の作品としては本編〔=「葦」〕のほかに《蝉》とか〔ママ〕《鬼》とがある程度で、余技作家というよりもアマチュア作家と呼んだほうがふさわしいのだが、しっかりした筆力から判断するとズブの素人だとは思えない。この人もまた、正体不明の謎の作家なのである。
休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人で、氏から聞いた話を思い出してみると、山形県だか秋田県の産であるらしく、岩手県に本拠を置く歌人のグループに籍をおいたとか。後年、双葉社の編集者に依頼して現地の歌人に尋ねてもらおうとしたものの、成功しなかった。
以上3つの引用にあることが、私が現在までに知りえた、登史草兵という作家に関するすべてだ。自分の甚だ粗略な調べ方(初出誌は言うまでもなく、その後版元や判型を変えて出た、登史草兵作品を収めたアンソロジーも現物に当たっていない。要は、自分がたまたま見ることができたアンソロジー僅か2点を確認したのみ)でわかるのがそもそもこの程度のことになってしまうのは当然の報いと言うべきだが、それにしても情報が少ない。
長らく斯界で活躍され、人脈もあり事情通でもあったにちがいない鮎川哲也の上掲の記述にも、一見して明らかな“ふらつき”がある。「山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない」(著者紹介)・「山形県だか秋田県の産であるらしく」(「解説」)、また「短編を三本書いただけ」(著者紹介)・「氏の作品としては本編のほかに《蝉》とか《鬼》とがある程度で」(「解説」)と、著者紹介(これは無記名だが、「解説」他篇での書きぶりの随所から、編者の鮎川氏が書いたものと推測できる)では断定、「解説」では言い切っていない。どうやら登史草兵については、出身地や発表作品(の点数)すら伝聞だったことが窺われる。
一方で、「蝉」を収録した『夢見る妖虫たち』「著者紹介」にある「詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという」は、(短いせいもあって)全体にもう少しはっきりしているように読める。しかし、こちらも文末の「……という」から推してほぼ確実に伝聞だろう。この「著者紹介」は無記名で、おそらくは同書巻末「解題」を書いている“さたな きあ”執筆かと推定されるが、情報源は鮎川哲也が拠ったものと別系統かどうか。これは私個人による全くの臆測だが、登史草兵のアイデンティティに関して知られていた話の出処は同一かつ単一だったのではないか。鮎川が書いた推測「ズブの素人だとは思えない」=ふだんから文章を書き慣れている、文筆に関わる教師または活字メディア関連の人間(『怪奇探偵小説集』解説で、鮎川はしばしば同集所収の他の作家についてもこれと同種の推測を述べている)が、『夢見る妖虫たち』ではより具体的な職業名「新聞記者」へ、また「歌人のグループに籍をおいた」が転じて「詩人クラブを主宰」となった……というあたりが、真相ではなかったろうか。
そもそも、鮎川が「……正体不明の謎の作家」と書かねばならなかった以上、私ごとき一介の(しかも大幅に遅れて来た)読者に何がわかろうはずもない。奥付で1998年6月第1刷発行となっているハルキ文庫版『怪奇探偵小説集』2の巻末にも、編集部注記として「所在が確認できませんでした」と書かれているなかに登史草兵の名前も挙げられている。せめて、この作家に関わる公刊された情報をこの駄文へ転記させていただき、登史草兵の名前が少しでも多くの方の目にふれる機会をささやかながらつくることで、何かさらに判明することでもあればいい……と夢想するばかりだ。
雑誌『幻影城』島崎編集長
上で引用した鮎川哲也による「解説」には、登史草兵は「休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人」とあった。ここでさらに臆測をふくらませれば、おそらく登史草兵に関して現在までかろうじて伝わっている一次(と、ここでは呼んでおこう)情報の出処は、電話か郵便を通じて(あるいは直接面談して?)作家とやりとりしたであろう初出雑誌の担当編集者を除けば、結局のところこの島崎博という方(だけ)だったのではないか。
私自身は店頭で見かけてなんとなくそんな雑誌もあったような……という程度のぼんやりした記憶しか残っていない。『幻影城』は、1975年から1979年にかけて刊行されていた探偵小説専門誌だったそうだ。島崎さんはこの編集人を務めておられ、同時に個人蔵で膨大な量の探偵小説関連文献のコレクションをお持ちだった由。詳しくは、同誌に関する実に丁寧に作られたウェブサイト、探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たちをぜひともご参照願いたい。とくに、『幻影城』休刊/廃刊以降の島崎博さんについては、同サイト内「雑文」セクション、「「幻影城」を支えた友情−島崎博さんの消息−」(2004年3月16日付)という大変興味深いエッセイをご覧いただきたい。
最近は目にすることもなくなってしまったこの「探偵小説」という日本語の括りは、その名前のとおり推理謎解きは当然のこと、怪奇幻想ものから“空想科学”小説、果てはエログロにいたるまでの広範な領域をまとめて呼んだものだ。同ウェブサイトで詳細に記録されている同誌各号の目次をみると、これらのサブ・ジャンル(? としてよいものか)をくまなくカヴァした、実にわくわくするような内容の雑誌だったことがわかる。
私が登史草兵「蝉」を読んだアンソロジーには、初出の記録は単行本までしか遡っていなかった。このため、本稿冒頭にもふれたとおり、『幻影城』に関するこちらのサイトの同誌目次の箇所(「探偵小説専門誌「幻影城」の頁」 --> 「探偵小説専門誌「幻影城」目次リスト」)にウェブ上検索で行き当たって初めて、同作品が(おそらく初出誌登場以来初めて)再録されたのが1975年刊の『幻影城』第4号巻頭特集「幻想小説」であることを知った。
自力で知ることができた情報のあまりの少なさに、ほとんどすがるような思いで同サイト主宰様宛てに問い合わせのメールを差し上げたところ、早速何点か貴重な情報を教えていただいた。お手を煩わせて、わざわざ『日本ミステリー事典』 『日本推理小説辞典』といった、斯界のリファレンス文献を調べてもくださった(過去に幾度か書いたように、私はそもそもまともなミステリ読者ではないため、これらの文献の存在自体を知らなかった)。ただし、残念ながら登史草兵に関しては両書いずれにも記載がない旨もお知らせいただいた。
次節は、同氏からのご教示に、ごくごく僅かながらその後私自身で調べがついたことを加え、まとめたものです。
登史草兵 作品書誌
大層な見出しをつけたが、遺憾ながら私は、雑誌掲載を経て単行本に収録されたような小説(またその他の文学作品)の書誌について、望ましい(あるいは正しい)記述の仕方を知らない。以下は、公刊されたことが知られている登史草兵作品の3篇の短篇を、初出誌刊行年時に従って単純に経時的に列挙したものに過ぎない。
ご覧いただければおわかりのとおり、各作品の初出誌はすべて敗戦後10年を経過しないうちに刊行されたものだ。雑誌であることもあり、さすがに地元の公共図書館経由ではこれらの現物をおいそれと確認することができない。後に作品を再録したアンソロジーの各種刊本についても事情は同じだ。このため、未確認の点を多数残した、あくまで便宜的なものであることをご承知おき願いたい。
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「蝉」
『探偵実話』誌 1952(昭和27)年10月号、世界社
『幻影城』誌 第4(1975(昭和50)年5月)号、絃映社
中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1978年、双葉社(新書判?)
中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1985年、双葉社・双葉文庫
『夢見る妖虫たち』 1994年、北宋社
『幻想小説大全』 2002年、北宋社(同社刊、上記 v と他2冊との合本)
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「葦」
『探偵実話』誌 1953(昭和28)年3月号、世界社
鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1976年7月、双葉社(新書判?)
鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1984年、双葉社・双葉文庫
鮎川哲也編『怪奇探偵小説集2』 1998年6月、角川春樹事務所・ハルキ文庫
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「鬼」
『オール読切』誌 1954(昭和29)年1月号、版元未詳
以上が、どうやら現時点までで判明している(ただし、くり返すがおそらく網羅的ではない)登史草兵作品の刊行履歴だ。
このうち、「鬼」については、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様が調べてくださり、「中島河太郎の「推理小説研究12号 戦後推理小説総目録」によると」上記雑誌に掲載されたとの記述がある由。この『オール読切』誌の版元は、残念ながら私では調べ切れなかった。
また、「蝉」と「葦」の2作品のアンソロジー収録記録については、同じく「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様からご教示いただいた“ミステリ、SF、ホラー小説のアンソロジーのデータベース”ウェブサイト、野村宏平様の Index to Anthologies を参照させていただいた。この国ではなぜかしばしば軽視されるアンソロジーに関する貴重なデータを編輯・公開してくださっている野村様にも、記して御礼申し上げます。
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「蝉」を読む機会を得たアンソロジー『夢見る妖虫たち』を図書館で借りてきたのが発端で、しかもこの本を借りた当初の目当ては、同書に収められた別の作家の短篇だった。「蝉」を読んで驚き、しばらく登史草兵について調べてみようとしたが、とにかく右も左もわからない。ほとほと困り果ててしまった。
この5月17日付で、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様にメールを差し上げている。折り返し返信を頂戴しいろいろご教示賜ったうえに、厚かましくもこの件について自分のところで書きたい意向をお知らせし、ありがたいことにこれにもご快諾いただいた。それにもかかわらず、すでに7週間も経過してしまった。
作品紹介の部分をなかなか思うように書けなかったことが遅延の主な理由ですが、熱心な探偵/ミステリ/幻想小説読者でもない素人の私が、こんな辺境のサイトで駄文を連ねて、果してよかったのかどうか。上述のとおり再録によっていささか『幻影城』と関わりをもつことになったこの作家と作品にとっては、同誌に関するおそらく最良のリソースである同サイトで、この方面に関心の深い、またはるかに多くの閲覧者の方の目に触れたほうが……という気がしてならない。この点について同氏にお詫びするとともに、末尾ながら再度、ご助力に御礼申し上げます。
本文中、登史草兵第2作「葦」についてはまったくふれていない。文庫本で今でも入手可能なため、こちらのほうが読むには手頃だと思う。「最果ての北の国」を舞台にした、メルヘン色の濃厚な幻想譚だ。私見では「蝉」の水準には及んでいないが、それでも文章は端整で、この作家の伎倆の確かさには疑問の余地はない。
現時点で未読の「鬼」は、はたしていつか読む機会が訪れるだろうか。アンソロジーにこれまで再録されたことがないようなのも、疑えばいくつか理由が想像できる。探すでもなく、気長に待ってみようかと、今は思っている。