Musical Baton
肝腎の本題の前に繰言ばかり連ねそうなので、まずは回答を書いてしまうことにした。
“バトン”を廻してくださった Kplus の KSP さん(05年7月1日付「Musical Baton」より)、ありがとうございました。
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計算機上に溜め込んだ音楽ファイル総量: 約1GB
このところ暇さえあればせっせと聴いては気に入ったものを Webjay プレイリストに記録しているネット・レーベル関連(Creative Commons ライセンスに基づき公開されているもの)。自分で聴きやすいように、また(曲の排列のみによって)できるだけ納得のゆく流れを作るべく曲順を調整しようとして、頻繁に前後を入れ替え試行錯誤を重ねている。このため、結局音源ファイルをローカルに持たないと不便で仕方なく、徐々に増えてきた。
音源ファイルのローカル・コピーを溜め込むもうひとつの理由は、(これは杞憂だろうと自分でも思うのだが)ネット上にしかないこうした曲が或る日突然アクセス不能になったり、ミュージシャンの意向で配布停止になったりするのではないかと、漠然と不安に思っているせいもある。
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いま聴いている音楽: Aldo Ciccolini(pf), Eric Satie Piano Works (EMI Classics, 5枚組)
昨年から始まった手当たり次第の“クラシック”入門は継続中。いろいろ聴いてみようとしている……のだが、誰の書いたものであれとりわけ交響曲がつらい。大半が時代がかって単に大仰なだけに聞こえてしまう。また、シンフォニーは概して長尺であるにもかかわらず、作曲家が想を凝らして作り上げた(のだろう)細部のおもしろさや組み上げられた全体の構成が、聴いている自分には(まだ? このままずっと?)ほとんど理解できない。このため、集中力が持続せずすぐに飽きが来てしまう。
むろん、こんな程度では個別の演奏や指揮の良し悪しなどまったくわからない。とにかく曲をたくさん聴いてみようというつもりで、或る作曲家の全集の類をまず買ってしまうのも、実は結果的にはよくないのかもしれない。
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直近に買ったCD: 上記2のものに加えて、Bartók Strings Quartets・Ravel Piano Works・Debussy Piano Works・Chiris Rea The Very Best of・Leonard Cohen The Essential Leonard Cohen を、おまけポイント倍増セールに乗せられてつい買ってしまった。
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よく聴く、または思い入れのある5曲: すべて後者。以下のとおり。
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Pink Floyd "The Final Cut"(The Final Cut (1983) 所収)
Roger (Waters) の誇大妄想と被害妄想とが行き着くところまで行ってしまった、救いようのない悲歎と苦痛と孤独と怒りの結実(曲・詞・音作り・歌唱いずれの点でも)として。
かつ、惰性と暴走(Roger (Waters) 脱退後の Floyd 名義、ライヴ盤を含む諸作での演奏)・手抜き(Kate Bush, Paul Rogers や Bryan Ferry などのアルバムへのセッション参加で)のいずれをもしない、優れたリード・ギタリストとしての Dave (Gilmour) の最後の姿を留めているという意味で。
この2つの意味合いで、この曲こそがバンドとしての Floyd による本当の“白鳥の歌”だ、と私には思えてならない。
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Joy Division "The Eternal"(Closer (1980) 所収)
もし Ian Curtis が自ら縊れることを選ばず、同じメンバー構成でバンドがさらにアルバムを作っていたら、自分は Closer を今も聴き続けているだろうか……と時々思う。それこそ小さな「歴史の“もしも”(historical if)」(大げさだ)で、考えても詮方ないことなのだが。
それでも、あのオリジナルLP盤のたたずまいには、紙質から配色、タイポグラフィにいたるまで、底堅い低い重心をもつ端整さ――それこそ墓碑を思わせる――があった。そして当然のごとく、音にもそれは色濃く出ている。とくにLPのB面4曲は、あらゆる音が反響も残さず減衰して消え去ることしかできないようなだだっ広く何もない空間で、それでも聴き手の間近で妙に生々しい響きを聞かせているような、不思議な印象が残る(実は以前、Joy Division でもう1本エントリを書くつもりで長らく果たせていないのは、これをネタにしたものになるはずで、いまだにまとめることができていない)。おそらく、Ian 自身をはじめ関係者の誰もがアルバム制作当時、終わりを予想だにしていなかったはず……それにもかかわらず、終わりは暗示されていたような気がする。
この曲の最後の部分、背景の自然音(? いったい何を録音したものだろうか)のようなノイズと共に一瞬かすかにピアノ(かギター?)が鳴り、唐突にそれが途切れるのを聴くたびに、なぜか戦慄する。
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Joni Mitchell "A Case of You"(Both Sides Now (2000) 所収)
30年近い歳月を隔てて同じ歌い手が歌い、まったく別種の深みと味わいを湛え、オリジナルと同等かそれ以上の力をもって甦ることの驚き。
この曲は男女間の失われた愛についての、女性の側からの歌だ。しかし、その詩の「それでもあなたは私の血の中に流れている/ 私にとっての聖餐の葡萄酒/ 苦く苦く、でもどこまでも甘い// あなたというお酒ならケース一杯分でも飲める/ そして私はまだ自分の足で立っていられる/ 大丈夫、自分ひとりで立っていられる」(趣意)というリフレインは、恋愛に限らず、或る程度以上のつながりの深さに到達した、ありとあらゆる人間関係にあてはめうる気がする――たとえそれが、直接の面識がなく、作品などを通じてしか知らない人に対するものであっても。
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David Sylvian "Weathered Wall"(Brilliant Trees (1984) 所収)
詞はあからさまに宗教的で、個人的にはほとんど意識しないようにしている。David はこの後、宗教的な主題であるか否かを問わず、本作を軽く凌駕する独自の詩/詞を幾篇も書いていると思う。
とにかくこの曲の音が好きだ――酷暑の夏には冴え冴えと涼しく、冷え込む冬にはほどよく火の廻ったパイプの火皿のように温かい。ソロ1作目のこのアルバム以降、David 自身がどんどん音を変えていったせいもあって、これと同種の質感をもつ曲はほとんどない……と思うが、それはそれでいいのかもしれない。
このアルバムもLP時代に買って、B面ばかり聴いた。のちにCD化された最初のものは、発売当初からどうやら廉価盤として作られたらしく、実に音が悪い。リマスタ盤も期待して聴いたが、これも大して改善されていないのが誠に残念。
5曲というお題で、ここまでは比較的すんなりと思い浮かんだのだが、ここから先が難渋。思い余って、以下省略ということにします。
それにしても、最近ジャズをあまり日常的に聴いていないせいか、英語圏の“ポピュラー音楽”(蔑称?(笑))、また一度限りの生演奏ではなくCDなどで幾度もくり返し聴いてきたものばかりになった。しかも、結局すでにどの曲についても、これまでここで書いたもののなかで何らかのかたちで言及している……。
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次にバトンを渡す5人: 5人は端から無理でした。
“なんちゃって”活字中毒/ジャズ好きの私とは違って、本物の読書家かつジャズ愛好家、kenyama's blog で実に渋い趣味を常々披瀝しておられる kenyama さん、もしこれをご覧になってお気が向いたらお願いします(もちろん、ご迷惑でしたら放置していただいても結構です)。
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最後にやはり繰言を書いてしまう……以下は文字通りの蛇足です。
以上、書いた当人たる自分にとっては、この“バトン”は、今までの自分の音楽とのつきあいを与えられた質問を通じてふり返るという意味で、楽しい作業でした。また、そもそも連携しやすいように設計されているウェブログならではのネタだと思います。反面、毎度の駄文をお読みいただいた方々にとっては、果してどうだったか。
これはこの“企画”への疑問というよりも、自分が書いて、どなたかに読んでいただくことを或る程度は期待してウェブ上で公開する、という点に関わるものです。KSP さんには「信念で拒否されそう」とご心配をおかけしましたが、私は本質的にスチャラカです(苦笑)。そして、読む側としての私自身は、この“バトン”で、時にはどんな方かなと想像しつつ拝見していることもある各ウェブログ著者の方々の意外な趣味が垣間見えたりして、楽しかったのでした。
ここ1年ほど私自身が抱いているこの“ウェブサイト”に対するイメージは、どちらかというと「ブログ“を”書いている」ではなく、不定期発行で個人執筆/編集の壁新聞を、更新が便利なウェブログ・ツールを利用して出している、というものです。媒体の形式や特徴にあまり執われる必要もないのではといつも思いつつ、最近は「こんなこと書いたって仕方ないだろう」という心の声ばかりが喧しく、何か書きかけてはつい放置したりボツにしてしまったりということの繰り返しです。開始当初は、もう少し気楽に構えていたような気がするのですが。