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スタリエーノ墓地への“旅”:Joy Division "Closer"

Staglieno Tomb Sculpture

Photograph by Mr Michel Enkiri

この話題は、コアな Joy Division ファンにとっては極め付きの「なにを今さら」なものかもしれない。あらかじめお詫びします。

私にとっての Joy Division は、出遭った最初の時から Closer だった。とりわけそのLPでのB面、"Heart and Soul", "Twenty-four Hours", "The Eternal", "Decades" と、ゆるやかに流れをなす4曲であり、そして真っ白な上質紙製レコードスリーヴの下方5分の3ほどに配されたモノクロームの「画」だった。それは、文字通り救いがなく、同時に不思議な力を聴くたびに与えてくれる音であり、底知れぬ悲歎と絶望の情景だ。

銅版画?

長らく、しかし無根拠に、この「画」はたぶん銅版画か、あるいは銅版画オリジナルをレタッチなどして加工したものではないかと思い込んでいた。光と影の具合があまりに絶妙で、自然を「写した」ものだとはにわかに信じがたい。ずいぶん昔の『ユリイカ』(だったと思うのだが、掲載誌および当該の文章の著者については完全に失念。たしかこのアルバムのリリース後2年くらいのことだったと思うので、1982年か)に、このカヴァ「画」を基にして油彩(?)で作品を描いた画家がいる、という一文を読んだ記憶がある。あくまでこの「画」を本歌取りして油彩画が描かれたという話だったと思うが、そのうろ憶えの油彩の話も、微妙に自分の記憶に影響を与えていたのかもしれない。

写真!

Closer とこのアルバムカヴァの「画」とは、自分の裡では分かち難い。もしこれが銅版画かその加工物であるなら、元ネタは何だろう。つい最近までこんなことを思い巡らすこともなく、くり返しくり返しこのアルバムを聴いてきたのだが、一度気になると正体を見極めなければすっきりしない。画題がもつキリスト教のにおいは一目瞭然で、その描くところが秘めた力も相当なもののように思えるのだが、いずれ名前の通った作品なのだろうか。

ところが、ウェブ上で調べるかぎり、Joy Division に関する充実したウェブサイトは数あるものの、このカヴァ「画」についてはっきりと正体を明らかにしているそのものズバリの記述になかなか出くわさない。思いつく検索キーワードでひっかかるところを片っ端から訪れては探しているうちに、ようやく Wikipedia 英語版 で以下のような記述を見つけることができた:

アルバム・カヴァは Martin Atkins と Peter Saville のデザイン、Bernard Pierre Wolf の写真を使用。カヴァ表(おもて)の墓地はイタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地。〔原文は同サイト Closer(Album) の項、本稿執筆時点の第2段落〕

写真……だったのだ。20年以上にわたる勝手な思い込みがようやく正されたことになる。だが、この Bernard Pierre Wolff(この綴りには Wikipedia の記事にあるように Wolf, あるいは Wolfe の表記もある)はいったい誰だ? そして、被写体が「墓地」だって? 「スタリエーノ墓地」?

墓碑彫刻

どうも書くたびに毎回無知を晒すようで恥ずかしいかぎりなのだが、西洋美術では墓碑彫刻(ウェブの日本語検索ではなかなかまとまった記述がひっかからないが、英語では "cemetery sculpture" や "grave sculpture" というらしい)は美術家の腕の揮いどころのひとつであるようだ。16世紀、Michelangelo(ミケランジェロ)〔備忘:michelangelo.com: 同名のウェブ屋さん制作のもの(!)だがまとまっているようだ〕製作のメディチ家礼拝堂のものは彼の傑作に数えられているようだし、墓碑彫刻を被写体にした写真家の作品も想像以上にあるようだ。

そして、Closer の「画」の画題となった「スタリエーノ墓地」もまた、ユニークな墓碑彫刻が多数あることで著名な墓苑であるらしい。地中海学会のサイトで、1999年2月月報に「地中海:祈りの場6 ジェノヴァのスタリエーノ墓地」と題して亀長洋子さんという方が以下のように紹介しておられるのを見つけた:

ジェノヴァの観光名所としてイタリア人が口にするのは,美術館でも教会でもない。大概以下の二つのうちのどちらかである。一つはジェノヴァ出身のレンツォ・ピアーノが設計した水族館,そしてもう一つが今回紹介するスタリエーノ墓地(Cimitero di Staglieno)である。……

……広大な敷地には,古典主義,新ゴシック,新ルネサンス様式,ロマン主義,自然主義,リアリズム,象徴主義,リバティー様式等,多様な様式の墓碑彫刻や巨大な礼拝堂建築が見られる。なかでも,19世紀の回廊にある墓碑彫刻群の感情表現とリアリズムは圧巻である(右図参照〔引用者:残念ながらウェブ版には画像なし〕)。……

上掲同稿には、フィリップ・アリエス『図説死の文化史』という書籍も紹介されている。スタリエーノ墓地の写真も多数収録されているそうだ(読んでみなくては……)。

Bernard Pierre Wolff という写真家

被写体である墓碑彫刻と、それが置かれた場所については何がしかのことがわかった。では、鮮烈な印象を残すこの光と影の瞬間を捉えた写真家は、どういう人なのか?

また検索を重ねてたどり着いたのが、冒頭に掲げた画像、スタリエーノ墓地の墓碑彫刻を現地で自ら撮影された Michel Enkiri さんのウェブサイト(トップページ)だった。このサイトには、Closer のカヴァを飾った写真のオリジナルとともに、この Wolff という写真家の多数の作品が紹介されている。同じく Joy Division の12インチシングル Love Will Tear Us Apart のカヴァに使われた横たわる天使(?)像の写真もある。彼は1930年フランス生まれ、Closer リリースから5年後の1985年にすでに亡くなったそうだ。Enkiri さんの手になる作風紹介(His Arts)には以下のようにある:

発表された Wolff の白黒写真のほとんどは、(周到に手入れされたライカで)路上で「ライブ」で撮影されたか、あるいはポートレイトだ。彼は周縁にいる(on the edge)人々、インドや日本といった国々、またニューヨークやロンドンといった都市に魅了されていた。何でも起こりうるところだから。

彼の写真は人間に焦点を当てており、目と心とに語りかけてくる。喜び・絶望・友情・誇り・狂気・美と醜さを湛え、そしてしばしば本物のおかしみと一種の詩情がある。

彼は見たものを一瞬のうちに、絶妙のアングルと絶妙の光で捉えることができ、オリジナルのもつ雰囲気を正確に写し取っている。彼の写真はしばしば謎(mystery)の一部分をなし、見る側にそのイメージをめぐるストーリーを作らせるところまで追い込む。〔原文:Enkiri さんのサイトの Wolff の項トップページ

Wolff が撮った多数の写真を Enkiri さんのサイトで拝見すると、おっしゃるとおりだという気がする。

仮想の旅

Closer を、20年以上にわたり折にふれて聴いてきた。ひどい鬱になるたびに、文字通り溺れるように聴いた。大げさに響くかもしれないが、このアルバムのLPB面4曲がなければ生きていられなかったかもしれない、そう思っている。改めて考えてみれば、この傑作のリリースを待つことなく首吊り自殺でこの世におさらばしたヴォーカリストが歌う果てしなく陰鬱な歌詞と声とに、同じように陰気で救いようのない鬱を癒されるというのも、因果な話だ。

それはそれとして、ウェブがなければそれこそ死ぬまでこのカヴァーは「画」だと思っていただろう。Enkiri さんのサイトにたどり着き、この「画」が写真であること、被写体は墓碑彫刻でイタリアのジェノヴァに実在すること、写真家の他の作品多数を確認することができ、なにかひとつ旅を終えたような気持ちがした。

〔04年7月30日追記〕スタリエーノ墓苑の沿革についての情報を、再び Enkiri さんからお寄せいただいた。本稿末尾の追記をぜひご覧ください。

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  • 何を措いても Enkiri さんに謝意を表したい。レイアウトやディスクスペースの都合など当方の事情を説明して許可を願い出たところ、彼が撮影した写真を縮小したうえでここに掲げることについて快諾いただいた。本当にありがとうございました。

  • ぜひ、Enkiri さん撮影の墓碑の写真オリジナル、そして Closer カヴァに使用された Wolff のオリジナルをご覧いただきたい。本稿掲載の縮小版では判然としない細部がよくおわかりいただけます。

  • 彼のサイト Michel ENKIRI Homepage(フランスの方だが英文です)には、本稿でもふれた写真家 Wolff についてのリソースとともに、Joy Division についての多数の資料やその他、彼の多才な関心を映すトピックが丁寧に見やすく紹介されている。

  • Joy Divison というバンドと Closer というアルバムの音楽については、また稿を改めたい(まだ書くつもりですか?(苦笑)>自分)。関連リソースのご紹介もその折に。

  • スタリエーノ墓地についての詳しい紹介は、イタリア語だが一部が英文に翻訳・公開されていた comune.genova.it というサイトに出ていた……のだが、どうやらサイト再構築の結果、英文頁はなくなってしまったらしい。園内の地図や多くの墓碑彫刻の紹介があったのだが……残念。以前同サイトにあった同墓地沿革の英文の記述をメモしておいたものによれば、19世紀中盤に開園、主に大理石製のさまざまな墓碑彫刻がある、文人でここに魅せられた者多し、などなど。(どうやら再構築後の同サイト cimitero monumentale が移植されたものらしいのですが、私にはイタリア語がわかりません)。英文での簡単な紹介は Genovando: Staglieno Cemetery あたりをご覧ください。

〔04年7月30日追記〕その後、私がイタリア語を読めないことをお話したところ、Enkiri さんが上掲 comune.genova.it の Satglieno 墓地に関する部分(上掲 cimitero monumentale: Staglieno e la sua storia)で、とくに興味深い箇所を選んでわざわざ英訳して送ってくださった。既に7月8日にメールでこの英訳を頂戴していたのだが、諸般の事情から3週間以上経過した本日、ようやくこちらへ拙訳のうえ転載することができた。遅れをお詫びするとともに、再度深甚なる感謝を表したい。ありがとうございます。

スタリエーノ墓地の沿革:

スタリエーノ墓地は1851年1月1日に公式に一般公開された。この時点ではまだほとんどが未完成の状態だったが、特徴的な建築は基本的には機能し、またその象徴的な側面のほとんどはすでに具わっていた。

墓苑プロジェクト自体はすでに1835年に、建築家 Carlo Barabino (1768–1825) の手で始められていた。Barbino は、新古典様式のジェノヴァの街並み (neoclassical physionomy) を作り出すのに重要な役割を担い、Teatro Carlo Felice, Palazzo dell'Accademia などの建築物を創造した人物だったが、彼はコレラに斃れることになる。彼の死後、このプロジェクトは Barabino の同僚だった Giovanni Battista Resasco (1798–1871) に1844年に受け継がれた。Resasco の設計図はすでに1840年に承認されていた。1844年には、ジェノヴァ市街中心地からさほど遠くなく、ほとんど住民がいなかった Villa Vaccarezza で建設工事が開始された。

Resasco は Barabino の当初の設計から長方形を基盤にした造形を継承し、これにより記念物としての墓苑の性格を強く打ち出している。この特徴は来園者に多大な感銘を与えた。墓苑を訪れると正門から直接、一様に並んだ柱廊玄関(portico)と“神殿”(the "Pantheon")へと続くこの情景を目にすることになる。

墓苑建造の複雑な構造がほぼすべて完成された1880年代には、この訴求力は墓苑内外の自然と溶け合ってよりいっそう力を増した。柱廊玄関から“神殿”にかけての部分と緑なす丘―― Boschetti & Valletta Pontasso の区画――植生とチャペルと散在するモニュメント(Giuseppe Mazini 墓碑および Risorgimento 家〔?〕の多くの死者たちの墓碑など)などが、こうした魅力を醸成している。

風景全体と墓苑との調和は時間の経過と相俟ってますます高まった。19世紀末から20世紀初頭にかけて造られた非カトリックあるいは英国人たちの区画はその例だ。Resasco の選択した建築上の特徴はイタリア内外の墓苑の模範となった。つまり、新古典様式の建築物と地中海的な伝統を組み合わせ、複数のモニュメントを置いた“ギャラリィ”、北欧およびアングロ・サクソンの国々で40年代[1840?]以降により顕著になってきた“自然”志向(パリの Père Lachaise 墓苑を嚆矢とする)を取り入れたものだ。

北部イタリアの商工業中心都市としてのジェノヴァの発展にともない、墓苑にはいくつかの変更が必要となった。Resasco 自身が墓苑北東一帯に円弧をなす新たな柱廊玄関を加えたが、これは残念ながら二つで一対をなす当初の計画が、1890年代に一方の完成をみただけだった。しかしこの柱廊玄関はリバティおよびデコ様式の豊かな装飾を誇っている。また、さらに後代に他の柱廊玄関にもいくつかの時代様式の造作が加えられ、新たな区画の拡張も続いた。Valle del Veilino――すでに非カトリックの墓が作られていた一帯――に加えられた Porticato Montino はデコおよび“Novecento”様式の造作の一例だ。また、拡張は1935年から1936年にかけて作られた第一次世界大戦戦没者のための区画、そして現時点では最も最近行なわれた PorticoS Antonino のモニュメント建造(1937年開始、1955年竣工)などが挙げられる。

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