スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category: スポンサー広告 | permalink | - | - |

拙作 Webjay プレイリスト: "nocturnal mix #00"

ここしばらくの間、ネットレーベルで聴くことができる音楽とともに、そうやって聴き漁って気に入った曲を並べて Webjay(関連拙稿12)で作るプレイリストによる“番組”制作に、すっかり夢中になってしまった。

放送局/DJ“気分”

自分の場合、そもそも Webjay プレイリストは、ネット上にある気に入った曲をあとで手軽に聴けるようにするべく、メモをとっておくつもりで作っていた。Webjay でアカウントを取得する(現時点ではフリー)と、自分で作ったプレイリストへの索引ページが作成される。ところが、ログインしたうえでその個人ページにアクセスした場合、〔下記05年8月6日付追記1を参照されたい〕自分のプレイリストが何度ダウンロードされたか(≒実際に聴かれた回数)、各プレイリスト標題末尾に「(xx hits)」というかたちで表示される。

Webjay サイトのトップ頁には、サイト全体にわたる「人気プレイリスト・ランキング」がある。掲示板や各プレイリストのコメント欄での記述をみると、人気の高いプレイリストには、通算で軽く万を超える累積アクセスがある由。

これは明らかにカウンタの一種で、遺憾ながら俗気芬々たる小人物の私には、当初自分の備忘に作っていたプレイリストでも、数字が増える(可能性がある)ものはなんとなく気になってしまう(もちろん、実際にはプレイリストごとに公開・非公開を設定できる。非公開にしたプレイリストは、作成者以外には存在していることも知られないし、作成者本人もログインしていない状態では閲覧も演奏もできない)。

また、実際に関連拙稿2でふれたプレイリスト2本には、意外なことに自分で予想していた以上のアクセスがあった(といっても、絶対数としてはまったく大したことがないのですが)。プレイリストのコメント欄へもいくつか好意的な反応を頂戴し、また何本かのプレイリストへ曲(実際には、その曲のウェブ上の所在へのポインタ)がコピーされたりもした。こうなると、誰か(無論、“最初のリスナー”である自分も含めて)に楽しんでもらうことを意識し、曲の排列をあれこれ工夫して、もっと多くの人に聴いてもらいたいという欲目が出てくる。これには、かつて“ラジオ少年”で、今も日常的に(オンライン・電波経由双方の)ラジオ番組を好んで聴いているせいもあるかもしれない。

そこで……以下、あからさまな我田引水は重々承知のうえで、拙作プレイリストと、判明したかぎりの各曲のミュージシャン/バンドに関するウェブ上リソースのうち特記しておきたいものをご紹介させていただく。私ごときが改めて言うまでもなく、ネット上には魅力的な音楽がたくさん存在している。優れた作品を(ほとんどがクリエイティブ・コモンズのライセンス下で)公開しているミュージシャンとネットレーベルに感謝します。

〔05年8月6日追記1〕 Webjay の自分のアカウントに「ログインしたうえでその個人ページにアクセスした場合」と書いていたが、サーバ負荷軽減策の一環として、去る8月1日にこの仕様は刷新され、すべてガラス張りになった。現在、プレイリスト作成者でなくとも、各プレイリストの総ダウンロード回数を見ることができる。

なお、この一段、どうも「私のプレイリストを聴いてアクセスを増やしてください」というふうに響く。もちろん実際に聴いていただき、Webjay のこの“カウンタ”の数字が増えていくのを眺めるのはプレイリストを作った側としては楽しいが、こんな記事を書いた本来の意図は、ネットレーベルで聴くことができる音楽の紹介にあった。実に拙い書き方で、恥ずかしいかぎりだ。〔05年8月6日追記1終〕

"nocturnal mix #00"

このプレイリストは、自分にとって「聴いてもらう」ことを明確に意識して作った最初のもの。標題 "nocturnal mix" は、単純に「夜、眠る前に流して聴くともなしに聴いてもらえれば嬉しいセットリスト」という程度の意味合いでつけた(が、英語として意味のある表現になっているかどうか。自信はない)。副題 "for late night pondering" は、「深夜にぼんやり物思いに耽る際に」。

ビート/リズムのない曲はほとんど、いまだに徐々に収録曲が増えつつあり、すでに総計7時間近くにのぼる分量になっ(てしまっ)た ambient: slowly expanding collection of select "ambient" tracks a la Eno's definition へ入れている。一方こちらの「夜向きミックス」は、主にはっきりしたビートがあるものを中心に構成している。総じていわゆる“エレクトロニカ(electronica)”として括られうる曲で、一部に何物ともジャンル分けしにくい音楽も交えています。

全体を通して聴くと、約1時間半(95分強)。リスト各行は、「ミュージシャン/バンド: 曲名 [演奏時間(分'秒")]」を表わしている。また、演奏時間末尾に疑問符を付した曲は、音源ファイルが可変ビット・レイトによるエンコードであるため、私が利用している音源プレイヤー・ソフト WinAmp での演奏時間表示が確定できないものです:

  1. IJO: "Ummpse"  [4'42"]

  2. Blue Sky Research: "Northern Rainy City"  [5'56"]

  3. Mookid: "Shame"  [4'52"]

  4. Karmacoda: "transitory redux"  [3'42"]

  5. lys: "ion"  [6'48"]

  6. IJO: "Terra Det"  [3'57"]

  7. IJO: "timeless yearning"  [4'27"]

  8. Ruben D'Hers: "las polillas"  [2'56"(?)]

  9. autistici: "colonic people"  [6'30"]

  10. Ruben D'Hers: "tres cosas incesantes pt.1"  [7'48"(?)]

  11. Cousteau: "Núr"  [6'42"]

  12. drone: "obsession"  [4'18"]

  13. IJO: "Cufm-L"  [3'07"]

  14. Blue Sky Research: "Happy Samantha Live Version"  [8'42"]

  15. Christian Walt: "After the Rain"  [7'10"]

  16. Off The Sky: "Through Her Isolated Divide"  [5'16"]

  17. d'incise: "l'immateriel autiste"  [6'08"]

  18. markus brösel: "nataryuk"  [3'00"]

お時間があれば、ぜひ一度聴いてみていただければ幸甚です。

また、Webjay では気に入った曲をどんどん“コピー”して自分のプレイリストへ取り込むことを推奨しています。あなたもネット上随所で合法的に公開されている音楽を渉猟し、プレイリスト編輯者(playlister)になって DJ 気分(笑)を味わってみませんか。

1年前に書いた関連拙稿1で、Webjay で公開したプレイリスト自体も、ほとんどのネットレーベル音源同様にクリエイティブ・コモンズのライセンス第1版に基づき、限定的な著作権の行使を前提としている旨、記事にしている。今回改めてそこで参照していた(はずの)Webjay 自己紹介ページ、関連箇所を読んでみたが、どうやらそうした記述はない(消えた?)ようだ。

ただし(私は法律の専門家ではないので確定的なことは言えないが)、そもそもプレイリストがポイントするネットレーベル音源ファイルがクリエイティブ・コモンズのライセンス(の同一条件許諾)に依っている以上、プレイリストの扱いもそれに準じると考えるのが妥当なのだろう(……か?)。

蛇足的注記

ここまででも既に長すぎるのに、全曲コメントなどしていると、またもや垂れ流しの長文になってしまう。それに実際のところ、多くの場合(ネットレーベルごとの方針にもよるが)ミュージシャンのプロファイル的情報はかなり限定的だ。

一方で、Webjay の現行インタフェイスでは、各プレイリスト頁の各曲行末にある「site」にてその曲に関連する情報へのリンク・アンカーを記録できるだけで、プレイリストを編輯/利用する際に多少の物足りなさが残る。以下、備忘も兼ねて特記しておきたいことを列挙します。

1、6、7、13と4曲も採っている IJO は、残念ながら詳細がよくわからない。"night music on Sutemos"(→関連拙稿2)でとりあげて、その水準の高さに驚いて自分がネットレーベルをいろいろ聴いてみるきっかけになったリトアニアの Sutemos で活躍している、バルト海に面した同国の港町 Klaipėda(クライペダ)出身(在住?)のミュージシャン(参照:コンピレィション・アルバム v/a -- surfaces 記載のミュージシャン紹介)のようだ。彼(?)への比較的長いインタヴュウが Sutemos に掲載されているものの、リトアニア語版記事しか公開されていないようで、単語の見当もほとんどつかずさっぱり。Fender Rhodes のような電子ピアノを非常に“あっさりと”使っていて、間を生かしたシンプルな音作り。曲調もどこか懐かしい。7はイタリア〔下記05年8月6日付追記2を参照されたい〕同じくリトアニアのドメインにある別のネットレーベル surfaces でリリースされた IJO のフル・アルバム melancholika から。今回のプレイリストは、とくに1、6、13(リリースは Sutemos での4曲収録 The Driw Play EP)をいわば骨組みとして、それに肉付けしていくようなかたちで徐々に作っていくことになった。

〔05年8月6日追記2〕 上掲段落で、ネットレーベル surfaces の公式サイト、トップレベル・ドメインをイタリア(正しくは ".lt"(リトアニア)であるところを ".it" と誤読し続けていた)とし、またレーベル名と第1作コンピレィション標題を単数形の surface と誤記していました。お詫びして訂正します。

なお、同レーベル(なんと!)最後のコンピレィション・アルバム by way of conclusion が、8月5日(付)で公開されている。ウェブサイトは現状のまま(暫定的に?)維持されるものの、今後新たなリリースはない由。

また、同日(付)で sutemos レーベルからも新しいコンピレィション Red, Green, Blue And Other Summer Feelings が公開された模様。残念ながら、最近1週間から10日ほどの間に公開された新作の音源ファイルを収める Internet Archive サーバへの接続が輻輳しているため、いずれも未聴。 〔05年8月6日追記2終〕

2、14の2曲を採っている Blue Sky Research は、英国 Manchester(マンチェスター)に本拠を置くネットレーベル Hippocamp の主宰者の一人、Jonathan Fisher のプロジェクトらしい(参照:同レーベル FAQ)。彼はこの名前で多数の作品をリリースしているが、このプレイリストでの2曲のように洗練された都会的な雰囲気を漂わせる曲から、静謐なアンビエント曲まで、多彩な作風を披露している。(なお、Blue Sky Research 名義で Hippocamp レーベルでリリースされ、現在も公開されている Fisher さんの作品を、Blue Sky Research というプレイリストにまとめてみた)

弦や生ギター(?)などアコースティック楽器を効果的に使って全篇に緊張感がみなぎる8、10の2曲は、ヴェネズエラの首都 Caracas 在住(?)のミュージシャン(主要楽器はギターの由)、Ruben D'Hers 演奏・制作。ドイツのドメインにあるネットレーベル 2063music からリリースされた同氏のフル・アルバム todo está en descanso より。このアルバムは全体が有機的に関連しているが、ここでは半ば無理やり2曲を引っぱり出してきて使わせていただいた。英文の比較的詳しいインタヴュウも公開されていて、彼がメンバーとして活動しているバンドと個人名義での音楽制作との違い、アルバム・タイトルの意味(「このスペイン語は「すべてが静止している」といったような意味だ。音はノイズであれサウンドであれ、人が何かしているのを止めさせ、意識を集めさせることができる。あらゆる動き(motion or movement)は音によって圧倒されてしまう」云々)などが語られている。

12の drone は、フランス Reims(ランス)で設計事務所に勤務する建築士2人組の由(参照:バンド公式サイト(?) d i g i t a l b i o t o p e「about」)。印象的な女性ヴォーカルは、Ninel Cam という名前のトルコ人(系?)歌手によるもの。この曲を収録したアルバム Désarticulation 自体は、前出 Hippocamp からリリースされた。

本プレイリストのエンディング18の Markus Brösel は、主に自身の作品をリリースする monohm を主宰。オーストリア Wien(ウィーン)在住のようだ。レーベル名をそのまま使った monohm 名義と、Markus Brösel 名義で、すでに長短合わせて10“枚”程度のリリース実績がある。主にピアノとシンセサイザー類を使った、静かな曲調の作品が多い。

----------

  • ネットレーベルで公開されている音楽を紹介する“番組”/“放送”は、当然のごとく先駆がある。私自身は Podcasting によるものをほとんど聴いたことがないが、営利レーベル所属のミュージシャンによるものと違って著作権関係での制約が少ないことも与ってか、ネットレーベルの音を紹介するいわゆる Mp3 Blog はけっこう数が多いようだ。また、Internet Archive の Netlabel セクションで保存・公開されているものだけでも、英国の sjis.com による Sjis Radio、ドイツの Phlow による digital Phlow Radio Show や同 Phlow Mix シリーズなどを挙げることができる。

    (もっとも、こうして「英国」「ドイツ」「リトアニア」「イタリア」「ヴェネズエラ」等々といちいち国名を書いても、ネット上では実質的な意味がほとんどない、という事実に今さらのように驚く)

  • 実は、"nocturnal mix" はすでにシリーズ化して、本稿で扱った第1集(#00)から続けて第2集(#01)・第3集(#02)まで出来上がっている。当初、ambient プレイリストと同様に、ビートのある佳曲・秀曲を集めて一本の長いリストにまとめられると思っていたが、セット全体にそれなりの流れを持たせようとすると、リズムのはっきりしている曲ではかなり厳しい。結局、或る程度の曲数になると演奏排列を考え始め、“持ち合わせ”の曲で1セットを組むという具合になっている。現在のところ、この3本のプレイリストは各篇17–18曲くらい、90分程度の長さに自然に収束している。

  • なお、このプレイリストを "mix" と呼んでいるのは、かなりおこがましいことだと自分でも感じている。私は平板なアクセントで発音される“クラブ”でのDJの演奏を実際に体験したことはないが、10年ほど前(?)に J-Wave か Tokyo FM で毎週日曜の夜明け前に放送していた UFO (United Future Organization、公式サイトは www.ufo-tokyo.com のようだが、現在なぜかアクセス不許可で閲覧不能)のDJミックスを、聴くともなしによく聴いていた。本来なら曲間のつなぎにリズム・ボックスや効果音を挿入したり、フェード・イン/フェード・アウトさせたりして、手を加えて仕上げたものが mix と呼ばれるべきなのではないかと思っている。

  • Webjay のプレイリスト作成/編輯は、基本的機能は整備されているものの、並べ替えや切り貼りなどの作業がまだまだやりづらい。

    ただ、同サイトを経費持ち出しで主宰する Lucas Gonze さんは、最近掲示板で「利用者がこのところ急増して、現有サーバの処理能力の限界をしばしば超えてしまうようになった。収入の見込みがないまま、新たにサーバを増設しなければならないかもしれない」と嘆いていた。Netlabel セクションだけではなく、ミュージシャン/バンドの承認のもとにライヴ音源もアーカイヴ化している Internet Archive も、計算機資源(と接続流量)には相当の経費がかかっていることは明らかで、将来的には何らかの課金が発生する事態は避けられないのかもしれない。

スポンサーサイト
category: music | permalink | Comments(0) | Trackbacks(1) |

“正体未詳”の短篇作家、登史草兵のこと

本稿は、以下でも述べるとおり、ウェブサイト探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち主宰様よりご教示いただいた情報に内容の大半を負っている。当方から唐突に差し上げた煩瑣な問い合わせにすぐさま懇切な返信をくださり、なおかつその情報の拙稿での紹介をご快諾いただいた同氏に、冒頭に記して厚く御礼申し上げます。

伝えられるところによれば、短篇わずか3篇を公刊したのみ、その後は筆を折って消息も失われた作家、登史草兵による見事な作品「蝉」を読んだ。

「蝉」

「蝉」は400字詰め30枚強の短篇であるにもかかわらず、堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説だ。物語の舞台は、一人称「私」によってこんなふうに語り始められる:

沈鬱な書き出しは、この話が悲劇であることを暗示している。そして何より、過不足ない描写と腰が据わって落ち着いた文体とに、私はまずひどく興味を惹かれた。漢語の多用(……というよりも、昨今の作家が(編集者による手入れと相俟って)版面が“黒く”なることを嫌って避ける漢字の頻出)も、徐々に明らかにされる悲劇の内実と釣り合うに十分な重みを文章に与えている。自家薬籠中のものとなっていて浮ついた感じがしない。

この語り手「私」は、こんな男だ:

父親を早くに亡くし、孤立した山上の古い「砦」屋敷に暮らす、経済的には何一つ不自由しない母子家庭。そこで育った「私」。物語には、彼を除けばあとは女性しか登場しない。上の引用箇所でいう「女主」たる「私」の母親、「砦」を下りて東京で出遭った「私」の妻「蛍子(けいこ)」、そして、「私」と母との安逸な蜜月を壊すきっかけとなった(また、その限りの役割しか物語のなかでは与えられていない)、青年時代の「恋人」。

「恋人」を得て、若さにまかせて結婚を決意した「私」は、母親によって激しく反対される。

息子が自分を捨てて他の女のもとへ走る時にはその女を殺すという、母親のこの常軌を逸した物言いには、隠微な伏線がある。彼女は一人っ子の「私」を18歳で出産、32歳のとき夫に先立たれたが、遺産により生活苦はない。「美食と化粧に日を送っていた為に非常に若く見え、私は母を眼の前にしながら、どうかすると姉ではないかと疑う事さえあった」。そして(下記の引用箇所は上掲の会話を若干遡る):

「私」との続柄すら疑わせるほど濃密な、母親からのインセスト的愛情と嫉妬、そして人里離れた山中の屋敷での孤立。道具立てはこれで揃う。物語はこうして背景を明らかにして舞台を整えた後、5年ぶりに戻ってきた「砦」での「私」の行動を描く。彼のもとにはすでに誰もいない。母は亡く、妻も突然姿を消した。物心ついてからの記憶と情念とが文字通り染みついているような邸に独り。

……ここから先は、やはり実際に作品を読んでいただくしかない。なぜ母親は、あからさまに近親相姦的な愛情の示し方を「私」に対してしたのか。「私」の妻が、失踪当日までまったく何の異状もなかったにもかかわらず、唐突に姿を消したのはなぜか。妻はどこにいるのか。すでに伏線部分で謎はいくつか用意されている。そして、無人だったはずの邸には真新しい足跡がある。なぜか。誰がいるのか。

「堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説」と冒頭に書いた。その所以もまた、初読の興趣をそぐことなくこんな駄文でほのめかすことすら、私の手には余る。多めに引用したのは、この作家の文章がもつ魅力をできるだけ直接ご覧に入れたかったからだ。これに加えて、実際の作品では、巧みな語り口とプロットの錯綜とによるまさしく目くるめくような揺らぎ、強烈な眩暈のようなものが、直前に示した引用箇所あたりから最後の一文へ向けて畳み込み、なだれ込むように続く。

活字になった情報

私はこの「蝉」を卒読、感嘆して再読三読した。登史草兵とは寡聞にして初めて目にする名前だ、いったいこれほどの秀作を物したこの作家はどういう人で、他にどんなものを書いたのだろう。私がこの短篇を読んだアンソロジー『夢見る妖虫たち』(書誌関連の詳細は後述)巻末には、わずかに以下のような「著者紹介」が付されていた:

詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという。わずか数篇の創作で筆を絶ってしまった。『蝉』は雑誌「探偵実話」に発表された、その数少ない作品のひとつである。

しかしこれだけでは何もわからないに等しい。可能であれば他の作品を読んでみたい。そこでまた、例のごとくにウェブ上での検索を試みたのだった。

本稿執筆時点で改めて検索エンジンにて「登史草兵」を検索語にして結果を見たが、Google(日本)で20件強、Yahoo(日本)と Ask.jp で16、7件程度だ。私が最初に検索してみた時もおそらくこれと同程度だったはずだ。しかも、検索でみつかる記述の大半は、この作家の「数少ない作品」を収めたアンソロジーの収録作品を列挙したなかに、この名前が作者として併記されたかたちで現れるものだった。

唯一といっていい直接的な収穫は、この作家の「葦」と題された短篇が別のアンソロジーに収録されており、現在でも比較的容易に入手可能だと判明したことだった。それが鮎川哲也編『怪奇探偵小説集』全3巻の2巻めだ。同書は作品ごとの中扉見返しに簡略な著者紹介を付している。そこにはこうある:

登史草兵(とし そうへい)
本名は斎藤草兵だという。大正十年山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない。昭和二十七年に登場して短編を三本書いただけで、早くも二十九年には筆を折っている。

また、編者執筆による巻末「解説」の登史草兵作「葦」の条には、やや詳しい記述がある:

掲載誌は「探偵実話」昭和二十八年三月号。氏の作品としては本編〔=「葦」〕のほかに《蝉》とか〔ママ〕《鬼》とがある程度で、余技作家というよりもアマチュア作家と呼んだほうがふさわしいのだが、しっかりした筆力から判断するとズブの素人だとは思えない。この人もまた、正体不明の謎の作家なのである。

休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人で、氏から聞いた話を思い出してみると、山形県だか秋田県の産であるらしく、岩手県に本拠を置く歌人のグループに籍をおいたとか。後年、双葉社の編集者に依頼して現地の歌人に尋ねてもらおうとしたものの、成功しなかった。

以上3つの引用にあることが、私が現在までに知りえた、登史草兵という作家に関するすべてだ。自分の甚だ粗略な調べ方(初出誌は言うまでもなく、その後版元や判型を変えて出た、登史草兵作品を収めたアンソロジーも現物に当たっていない。要は、自分がたまたま見ることができたアンソロジー僅か2点を確認したのみ)でわかるのがそもそもこの程度のことになってしまうのは当然の報いと言うべきだが、それにしても情報が少ない。

長らく斯界で活躍され、人脈もあり事情通でもあったにちがいない鮎川哲也の上掲の記述にも、一見して明らかな“ふらつき”がある。「山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない」(著者紹介)・「山形県だか秋田県の産であるらしく」(「解説」)、また「短編を三本書いただけ」(著者紹介)・「氏の作品としては本編のほかに《蝉》とか《鬼》とがある程度で」(「解説」)と、著者紹介(これは無記名だが、「解説」他篇での書きぶりの随所から、編者の鮎川氏が書いたものと推測できる)では断定、「解説」では言い切っていない。どうやら登史草兵については、出身地や発表作品(の点数)すら伝聞だったことが窺われる。

一方で、「蝉」を収録した『夢見る妖虫たち』「著者紹介」にある「詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという」は、(短いせいもあって)全体にもう少しはっきりしているように読める。しかし、こちらも文末の「……という」から推してほぼ確実に伝聞だろう。この「著者紹介」は無記名で、おそらくは同書巻末「解題」を書いている“さたな  きあ”執筆かと推定されるが、情報源は鮎川哲也が拠ったものと別系統かどうか。これは私個人による全くの臆測だが、登史草兵のアイデンティティに関して知られていた話の出処は同一かつ単一だったのではないか。鮎川が書いた推測「ズブの素人だとは思えない」=ふだんから文章を書き慣れている、文筆に関わる教師または活字メディア関連の人間(『怪奇探偵小説集』解説で、鮎川はしばしば同集所収の他の作家についてもこれと同種の推測を述べている)が、『夢見る妖虫たち』ではより具体的な職業名「新聞記者」へ、また「歌人のグループに籍をおいた」が転じて「詩人クラブを主宰」となった……というあたりが、真相ではなかったろうか。

そもそも、鮎川が「……正体不明の謎の作家」と書かねばならなかった以上、私ごとき一介の(しかも大幅に遅れて来た)読者に何がわかろうはずもない。奥付で1998年6月第1刷発行となっているハルキ文庫版『怪奇探偵小説集』2の巻末にも、編集部注記として「所在が確認できませんでした」と書かれているなかに登史草兵の名前も挙げられている。せめて、この作家に関わる公刊された情報をこの駄文へ転記させていただき、登史草兵の名前が少しでも多くの方の目にふれる機会をささやかながらつくることで、何かさらに判明することでもあればいい……と夢想するばかりだ。

雑誌『幻影城』島崎編集長

上で引用した鮎川哲也による「解説」には、登史草兵は「休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人」とあった。ここでさらに臆測をふくらませれば、おそらく登史草兵に関して現在までかろうじて伝わっている一次(と、ここでは呼んでおこう)情報の出処は、電話か郵便を通じて(あるいは直接面談して?)作家とやりとりしたであろう初出雑誌の担当編集者を除けば、結局のところこの島崎博という方(だけ)だったのではないか。

私自身は店頭で見かけてなんとなくそんな雑誌もあったような……という程度のぼんやりした記憶しか残っていない。『幻影城』は、1975年から1979年にかけて刊行されていた探偵小説専門誌だったそうだ。島崎さんはこの編集人を務めておられ、同時に個人蔵で膨大な量の探偵小説関連文献のコレクションをお持ちだった由。詳しくは、同誌に関する実に丁寧に作られたウェブサイト、探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たちをぜひともご参照願いたい。とくに、『幻影城』休刊/廃刊以降の島崎博さんについては、同サイト内「雑文」セクション、「「幻影城」を支えた友情-島崎博さんの消息-」(2004年3月16日付)という大変興味深いエッセイをご覧いただきたい。

最近は目にすることもなくなってしまったこの「探偵小説」という日本語の括りは、その名前のとおり推理謎解きは当然のこと、怪奇幻想ものから“空想科学”小説、果てはエログロにいたるまでの広範な領域をまとめて呼んだものだ。同ウェブサイトで詳細に記録されている同誌各号の目次をみると、これらのサブ・ジャンル(? としてよいものか)をくまなくカヴァした、実にわくわくするような内容の雑誌だったことがわかる。

私が登史草兵「蝉」を読んだアンソロジーには、初出の記録は単行本までしか遡っていなかった。このため、本稿冒頭にもふれたとおり、『幻影城』に関するこちらのサイトの同誌目次の箇所(「探偵小説専門誌「幻影城」の頁」 --> 「探偵小説専門誌「幻影城」目次リスト」)にウェブ上検索で行き当たって初めて、同作品が(おそらく初出誌登場以来初めて)再録されたのが1975年刊の『幻影城』第4号巻頭特集「幻想小説」であることを知った。

自力で知ることができた情報のあまりの少なさに、ほとんどすがるような思いで同サイト主宰様宛てに問い合わせのメールを差し上げたところ、早速何点か貴重な情報を教えていただいた。お手を煩わせて、わざわざ『日本ミステリー事典』 『日本推理小説辞典』といった、斯界のリファレンス文献を調べてもくださった(過去に幾度か書いたように、私はそもそもまともなミステリ読者ではないため、これらの文献の存在自体を知らなかった)。ただし、残念ながら登史草兵に関しては両書いずれにも記載がない旨もお知らせいただいた。

次節は、同氏からのご教示に、ごくごく僅かながらその後私自身で調べがついたことを加え、まとめたものです。

登史草兵 作品書誌

大層な見出しをつけたが、遺憾ながら私は、雑誌掲載を経て単行本に収録されたような小説(またその他の文学作品)の書誌について、望ましい(あるいは正しい)記述の仕方を知らない。以下は、公刊されたことが知られている登史草兵作品の3篇の短篇を、初出誌刊行年時に従って単純に経時的に列挙したものに過ぎない。

ご覧いただければおわかりのとおり、各作品の初出誌はすべて敗戦後10年を経過しないうちに刊行されたものだ。雑誌であることもあり、さすがに地元の公共図書館経由ではこれらの現物をおいそれと確認することができない。後に作品を再録したアンソロジーの各種刊本についても事情は同じだ。このため、未確認の点を多数残した、あくまで便宜的なものであることをご承知おき願いたい。

  1. 「蝉」

    1. 『探偵実話』誌 1952(昭和27)年10月号、世界社

    2. 『幻影城』誌 第4(1975(昭和50)年5月)号、絃映社

    3. 中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1978年、双葉社(新書判?)

    4. 中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1985年、双葉社・双葉文庫

    5. 『夢見る妖虫たち』 1994年、北宋社

    6. 『幻想小説大全』 2002年、北宋社(同社刊、上記 v と他2冊との合本)

  2. 「葦」

    1. 『探偵実話』誌 1953(昭和28)年3月号、世界社

    2. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1976年7月、双葉社(新書判?)

    3. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1984年、双葉社・双葉文庫

    4. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集2』 1998年6月、角川春樹事務所・ハルキ文庫

  3. 「鬼」

    1. 『オール読切』誌 1954(昭和29)年1月号、版元未詳

以上が、どうやら現時点までで判明している(ただし、くり返すがおそらく網羅的ではない)登史草兵作品の刊行履歴だ。

このうち、「鬼」については、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様が調べてくださり、「中島河太郎の「推理小説研究12号 戦後推理小説総目録」によると」上記雑誌に掲載されたとの記述がある由。この『オール読切』誌の版元は、残念ながら私では調べ切れなかった。

また、「蝉」と「葦」の2作品のアンソロジー収録記録については、同じく「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様からご教示いただいた“ミステリ、SF、ホラー小説のアンソロジーのデータベース”ウェブサイト、野村宏平様の Index to Anthologies を参照させていただいた。この国ではなぜかしばしば軽視されるアンソロジーに関する貴重なデータを編輯・公開してくださっている野村様にも、記して御礼申し上げます。

----------

「蝉」を読む機会を得たアンソロジー『夢見る妖虫たち』を図書館で借りてきたのが発端で、しかもこの本を借りた当初の目当ては、同書に収められた別の作家の短篇だった。「蝉」を読んで驚き、しばらく登史草兵について調べてみようとしたが、とにかく右も左もわからない。ほとほと困り果ててしまった。

この5月17日付で、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様にメールを差し上げている。折り返し返信を頂戴しいろいろご教示賜ったうえに、厚かましくもこの件について自分のところで書きたい意向をお知らせし、ありがたいことにこれにもご快諾いただいた。それにもかかわらず、すでに7週間も経過してしまった。

作品紹介の部分をなかなか思うように書けなかったことが遅延の主な理由ですが、熱心な探偵/ミステリ/幻想小説読者でもない素人の私が、こんな辺境のサイトで駄文を連ねて、果してよかったのかどうか。上述のとおり再録によっていささか『幻影城』と関わりをもつことになったこの作家と作品にとっては、同誌に関するおそらく最良のリソースである同サイトで、この方面に関心の深い、またはるかに多くの閲覧者の方の目に触れたほうが……という気がしてならない。この点について同氏にお詫びするとともに、末尾ながら再度、ご助力に御礼申し上げます。

本文中、登史草兵第2作「葦」についてはまったくふれていない。文庫本で今でも入手可能なため、こちらのほうが読むには手頃だと思う。「最果ての北の国」を舞台にした、メルヘン色の濃厚な幻想譚だ。私見では「蝉」の水準には及んでいないが、それでも文章は端整で、この作家の伎倆の確かさには疑問の余地はない。

現時点で未読の「鬼」は、はたしていつか読む機会が訪れるだろうか。アンソロジーにこれまで再録されたことがないようなのも、疑えばいくつか理由が想像できる。探すでもなく、気長に待ってみようかと、今は思っている。

category: books | permalink | Comments(1) | Trackbacks(0) |

Musical Baton

肝腎の本題の前に繰言ばかり連ねそうなので、まずは回答を書いてしまうことにした。

“バトン”を廻してくださった Kplus の KSP さん(05年7月1日付「Musical Baton」より)、ありがとうございました。

  1. 計算機上に溜め込んだ音楽ファイル総量: 約1GB

    このところ暇さえあればせっせと聴いては気に入ったものを Webjay プレイリストに記録しているネット・レーベル関連(Creative Commons ライセンスに基づき公開されているもの)。自分で聴きやすいように、また(曲の排列のみによって)できるだけ納得のゆく流れを作るべく曲順を調整しようとして、頻繁に前後を入れ替え試行錯誤を重ねている。このため、結局音源ファイルをローカルに持たないと不便で仕方なく、徐々に増えてきた。

    音源ファイルのローカル・コピーを溜め込むもうひとつの理由は、(これは杞憂だろうと自分でも思うのだが)ネット上にしかないこうした曲が或る日突然アクセス不能になったり、ミュージシャンの意向で配布停止になったりするのではないかと、漠然と不安に思っているせいもある。

  2. いま聴いている音楽: Aldo Ciccolini(pf), Eric Satie Piano Works (EMI Classics, 5枚組)

    昨年から始まった手当たり次第の“クラシック”入門は継続中。いろいろ聴いてみようとしている……のだが、誰の書いたものであれとりわけ交響曲がつらい。大半が時代がかって単に大仰なだけに聞こえてしまう。また、シンフォニーは概して長尺であるにもかかわらず、作曲家が想を凝らして作り上げた(のだろう)細部のおもしろさや組み上げられた全体の構成が、聴いている自分には(まだ? このままずっと?)ほとんど理解できない。このため、集中力が持続せずすぐに飽きが来てしまう。

    むろん、こんな程度では個別の演奏や指揮の良し悪しなどまったくわからない。とにかく曲をたくさん聴いてみようというつもりで、或る作曲家の全集の類をまず買ってしまうのも、実は結果的にはよくないのかもしれない。

  3. 直近に買ったCD: 上記2のものに加えて、Bartók Strings Quartets・Ravel Piano Works・Debussy Piano Works・Chiris Rea The Very Best of・Leonard Cohen The Essential Leonard Cohen を、おまけポイント倍増セールに乗せられてつい買ってしまった。

  4. よく聴く、または思い入れのある5曲: すべて後者。以下のとおり。

    1. Pink Floyd "The Final Cut"The Final Cut (1983) 所収)

      Roger (Waters) の誇大妄想と被害妄想とが行き着くところまで行ってしまった、救いようのない悲歎と苦痛と孤独と怒りの結実(曲・詞・音作り・歌唱いずれの点でも)として。

      かつ、惰性と暴走(Roger (Waters) 脱退後の Floyd 名義、ライヴ盤を含む諸作での演奏)・手抜き(Kate Bush, Paul Rogers や Bryan Ferry などのアルバムへのセッション参加で)のいずれをもしない、優れたリード・ギタリストとしての Dave (Gilmour) の最後の姿を留めているという意味で。

      この2つの意味合いで、この曲こそがバンドとしての Floyd による本当の“白鳥の歌”だ、と私には思えてならない。

    2. Joy Division "The Eternal"Closer (1980) 所収)

      もし Ian Curtis が自ら縊れることを選ばず、同じメンバー構成でバンドがさらにアルバムを作っていたら、自分は Closer を今も聴き続けているだろうか……と時々思う。それこそ小さな「歴史の“もしも”(historical if)」(大げさだ)で、考えても詮方ないことなのだが。

      それでも、あのオリジナルLP盤のたたずまいには、紙質から配色、タイポグラフィにいたるまで、底堅い低い重心をもつ端整さ――それこそ墓碑を思わせる――があった。そして当然のごとく、音にもそれは色濃く出ている。とくにLPのB面4曲は、あらゆる音が反響も残さず減衰して消え去ることしかできないようなだだっ広く何もない空間で、それでも聴き手の間近で妙に生々しい響きを聞かせているような、不思議な印象が残る(実は以前、Joy Division でもう1本エントリを書くつもりで長らく果たせていないのは、これをネタにしたものになるはずで、いまだにまとめることができていない)。おそらく、Ian 自身をはじめ関係者の誰もがアルバム制作当時、終わりを予想だにしていなかったはず……それにもかかわらず、終わりは暗示されていたような気がする。

      この曲の最後の部分、背景の自然音(? いったい何を録音したものだろうか)のようなノイズと共に一瞬かすかにピアノ(かギター?)が鳴り、唐突にそれが途切れるのを聴くたびに、なぜか戦慄する。

    3. Joni Mitchell "A Case of You"Both Sides Now (2000) 所収)

      30年近い歳月を隔てて同じ歌い手が歌い、まったく別種の深みと味わいを湛え、オリジナルと同等かそれ以上の力をもって甦ることの驚き。

      この曲は男女間の失われた愛についての、女性の側からの歌だ。しかし、その詩の「それでもあなたは私の血の中に流れている/ 私にとっての聖餐の葡萄酒/ 苦く苦く、でもどこまでも甘い// あなたというお酒ならケース一杯分でも飲める/ そして私はまだ自分の足で立っていられる/ 大丈夫、自分ひとりで立っていられる」(趣意)というリフレインは、恋愛に限らず、或る程度以上のつながりの深さに到達した、ありとあらゆる人間関係にあてはめうる気がする――たとえそれが、直接の面識がなく、作品などを通じてしか知らない人に対するものであっても。

    4. David Sylvian "Weathered Wall"Brilliant Trees (1984) 所収)

      詞はあからさまに宗教的で、個人的にはほとんど意識しないようにしている。David はこの後、宗教的な主題であるか否かを問わず、本作を軽く凌駕する独自の詩/詞を幾篇も書いていると思う。

      とにかくこの曲の音が好きだ――酷暑の夏には冴え冴えと涼しく、冷え込む冬にはほどよく火の廻ったパイプの火皿のように温かい。ソロ1作目のこのアルバム以降、David 自身がどんどん音を変えていったせいもあって、これと同種の質感をもつ曲はほとんどない……と思うが、それはそれでいいのかもしれない。

      このアルバムもLP時代に買って、B面ばかり聴いた。のちにCD化された最初のものは、発売当初からどうやら廉価盤として作られたらしく、実に音が悪い。リマスタ盤も期待して聴いたが、これも大して改善されていないのが誠に残念。

    5曲というお題で、ここまでは比較的すんなりと思い浮かんだのだが、ここから先が難渋。思い余って、以下省略ということにします。

    それにしても、最近ジャズをあまり日常的に聴いていないせいか、英語圏の“ポピュラー音楽”(蔑称?(笑))、また一度限りの生演奏ではなくCDなどで幾度もくり返し聴いてきたものばかりになった。しかも、結局すでにどの曲についても、これまでここで書いたもののなかで何らかのかたちで言及している……。

  5. 次にバトンを渡す5人: 5人は端から無理でした。

    “なんちゃって”活字中毒/ジャズ好きの私とは違って、本物の読書家かつジャズ愛好家、kenyama's blog で実に渋い趣味を常々披瀝しておられる kenyama さん、もしこれをご覧になってお気が向いたらお願いします(もちろん、ご迷惑でしたら放置していただいても結構です)。

----------

最後にやはり繰言を書いてしまう……以下は文字通りの蛇足です。

>> More
category: backyard | permalink | Comments(5) | Trackbacks(0) |
About This Site

おもに音楽と読書にまつわる雑感を随時綴っています。

Table of Contents
Recent Entries
Recent Comments
Recent Trackbacks
Credits
  • Most of the photographic images carried here are from the superb collection of free stock photos, stock.xchng
  • CSS and HTML template edited using ComponentSoftware RCS, an excellent RCS suite.
  • Textual contents of this site licensed under a Creative Commons License (by-nc-sa), except where otherwise noted with my sincere acknowledgements.
    (CC)2004–2006 by moondial. Some rights reserved.

    Creative Commons banner

For Syndication
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。