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Barry Eisler 『雨の影(Hard Rain)』

なんとなくハードボイルド小説かと思って読んでいた。しかし、著者の処女作『雨の牙(Rain Fall)』とこの2作目とを続けて読んだ後に著者ご本人のサイトを訪れて、そこに掲載されている本国米国で出た書評を読むと、どうやら大概“スリラー(thriller)”に分類されているようだ。まあ、この場合ジャンル分けを云々してもあまり意味はないし、文芸批評ではおそらくほぼ確立されたハードボイルドの定義があるのだろうが、たしかに探偵は出てこない。だが文章は辛口だ。

主人公はジョン・レイン(John Rain)、一匹狼の殺し屋。日本(父)と米国(母)のハーフ、ヴェトナム戦争時の米軍特殊部隊出身、「奇跡の二パーセント」のひとり:

レインは、日本人と白人(と思われる)のハーフだが、生まれついた容貌は日本人だ。ヴェトナム戦争後にプロの殺し屋となってからはさらに整形を施し、自らを“人々”のなかへ埋没させ没個性化することを行動の大原則としている:

もちろん、これはレインが飛び道具や爆発物、毒物などを使わず自然死あるいは病死に見せかけるかたちでの殺人を得意とするという作品での設定による、いわば“職業上”の心構えだ。だから作品の裡で必然性を持つ。しかしこれにとどまらず、レインが文字通りほとんどどこにも(国はもちろん、地縁・血縁・社会的なグループや社交、友人としての個人的なつきあいなど)帰属先をもたない、徹底的なまでの“aloner”であることは、彼が日本と米国のどちらの社会でも暮らしてみたがどちらからも心からの歓迎を受けることができないままとけ込むことを放棄した経緯や、彼が上で引いたように元職業軍人の“奇跡の二パーセント”であり、戦線敵陣後方での攪乱と情報収集という過酷で隠密の任務を遂行していた経歴などによって、さらに強調される。

どこにも属しないことを択んだレインにとって、彼が“職場”とした東京(そして第2作では大阪)や日本は滞留点のひとつに過ぎない。「だが」なのか、あるいは「それゆえ」なのか、レインの目を通して描かれる東京は、時に美しく、時に冷静につき放されて、さまざまな異相を露わにする。著者は約3年のあいだ日本に暮らし、日本企業に勤務した経験もあるそうだが、それにしても詳しく的確だ:

どこに居ても異邦人であるほかないレインにとっての慰めはモルト・ウィスキィとジャズ。両者がしばしば揃って出る場所はバー。公式サイトには、第1作『雨の牙』でとくに印象的な描写があるバーは、大阪所在の実在の店をモデルにしている旨の記述がある(「John Rain's World」参照)。

公式サイトに掲載/引用された書評でも、著者の文章の見事さに言及しているものは多い。一部引用された原著からの文章を読むだけでも、かなり表現に凝っているのがわかる。邦訳(訳者は第1作・第2作とも池田真紀子さんという方)は、おそらく原作の文章が湛える雰囲気を相当適確に日本語に移している。標題に反して、雨のイメージよりも圧倒的に夜、それも都会の夜の印象が強いが、じつに雰囲気がある。次回作はマカオから始まり、アジアと南米とが主な舞台となるようだ。3作目日本語訳の早期刊行に期待したい。

日本語訳の版元がソニー・マガジンズで、判型は文庫判(「ヴィレッジブックス」)。書店での(文庫)書棚の争奪戦がすさまじいのは周知のとおりで、新潮・講談社・中公・岩波・角川、それに早川と東京創元社はたいていそれぞれ専用の書棚があっても、これら以外はたいてい隅に追いやられている。これは完全に自分の怠惰のせいだが、縁あって愛読するにいたった特定の作家のものを除いて、雑然と置かれて或る意味で不当な扱いを受けざるをえない他の文庫収録の本を丁寧に見て、おもしろそうなものをみつけだすことはなかなかしようとしない。

自分にはなじみのない版元から出ているこの“Rain シリーズ”について私が知ったのは、いつも拝読している mi4ko さんのウェブログ、Still Life の「小説家のレシピ」という魅力的なカテゴリで公開されたエントリ「「雨の影」のリゾットが食べたい!」(2004年5月30日付)を通じてだった。本作で、レインが唯一の協力者として恃むハッカーに尾行がついている疑いが生じ、それを確認すべく詳細な行動指示を彼に与えて、レイン自身は監視する。監視場所に選んだ店でレインが食べた東京・恵比寿にある店のリゾット(『雨の影』pp.106–107前後)を自作する、という内容なのだが、いつもながらの見事(でこのエントリではおいしそう!)な写真とともに、同じくいつもの達者で歯切れのよい文章でこのシリーズにふれておられる。私の駄文と較べるのがそもそもおこがましい、格段に優れた紹介になっている。興味を持たれた方はぜひご一読を。

書誌は以下のとおり。なお、本稿標題にした第2作は、やはり第1作を先に読んでからのほうがいい。

  • バリー・アイスラー『雨の牙』池田真紀子訳(2002年1月、ソニー・マガジンズ(ヴィレッジブックス)、426頁、本体価格760円)

  • 同『雨の影』池田真紀子訳(2004年1月、ソニー・マガジンズ(ヴィレッジ・ブックス)、496頁、本体価格800円)

以下、ちょっと不満な点をいくつか。

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Placebo というバンド

昨年の年末前後から、Radio Paradise でこのバンドの最新アルバム Sleeping With Ghosts (2003) からの数曲がよくかかっていた。ヴォーカルは極めて特徴的な声質の高音域で歌う。ほとんどシャウトすることがない中性的なヴォーカルが、ほぼディストーション一発のコード・ストロークで厚い音の壁を築くギターと、重く堅実なベース、それに抜けのいい生ドラムの上に乗っている。音数が少ない隙間だらけの時と、ぐっと分厚く音を鳴らして疾走する時とのメリハリもいい。控えめに背景音を鳴らすキーボード類の使い方もうまい。

先日とりあえずこのアルバムだけでも入手しておこうと思って店頭に行くとほとんど在庫がない。結局 amazon.co.jp で注文した(amazon の外盤CDは Tower より大概はるかに安いことに最近ようやく気づいた)。ついでに以前の3作も試聴して、各アルバムごとに聴くことができる数曲を全部聴き、また“大人買い”してしまった。結果的にどのアルバムもかなり出来がいいと思えた。

この Placebo(リンク先は公式サイト)というバンド、David Bowie の熱狂的なファンだったヴォーカル/ギターの Brian Molko が、ルクセンブルクで過ごした少年時代に彼の地で同じ学校に通っていたベイシストの Stephan Olsdal とロンドンの地下鉄で偶然再会したのをきっかけに結成したという。Molko は米英の二重国籍、Olsdal はスウェーデン、ドラマーの Steve Hewitt は英国。彼らはまたバイセクシュアル・同性愛者・いわゆる“ストレイト”だそうで、華奢で風貌も中性的な Molko は、プロモーション・ヴィデオのなかで女装して化粧を決め女性になりきった姿を披露したりしている。政治的な発言もけっこうしているらしい。

1枚目から3枚目までのアルバムには、いずれにも最後にクレジットなしの hidden track が含まれており(CDプレイヤーにかけっ放しにしておくと、10分近い無音状態の後に出てくる)、2枚目の Without You I'm Nothing (1998) のそれは曲名も "Evil Dildo"。内容も Molko の自宅の留守番電話に残っていた「お前がどこに住んでいるかわかってる、部屋に忍び込んでお前の局部をちょん切って……」というとんでもない脅迫メッセージをそのまま使っているという(しかし実際にはほとんど聞こえない。全篇インストゥルメンタルで、曲調は限りなく重たく陰鬱)。

……というようなことを、ウェブ上でいろんなところを覗いて知った。Placebo のデビュウ・アルバム Placebo は1996年リリースで、自分がロックについて何も関連情報を蒐集したり音を実際に聴くことがなかった1990年代のバンドだ。そういう耳で聴くと、このバンドの音は、彼らより10年以上前に溯った80年代前半に無数に出た alternative 系の音によく似ていて、かなり懐かしい。あの頃と違うのは、演奏が技術的にしっかりしていてかなり上手い、録音もいい、CD時代への移行とほぼ前後して顕著になった(たぶん音のデジタル処理によって可能になった)atmospheric とでもいうべき音空間の作り方、などだろうか。バンド・メンバーのコスモポリタン的な出自や性的嗜好にまつわる逸話、政治的な発言や歌詞などには、マージナルな存在としての特異性を打ち出そうとする若さとポーズを私(のような中年)は感じるだけだが、出している音や曲はかなり気に入った。

たぶんこのバンドが好みに合うかどうかは、Molko の特徴的な声と歌が生理的に大丈夫かどうかでほとんど決まるような気がする。

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以下、Placebo に関するウェブ上リソース(備忘)。このバンドが日本でどの程度のポピュラリティをもつのか、上述のような理由で私はまったく知らないが、嬉しいことに極めて充実した日本語ファン・サイトがある:

  • 愛蓮さん主宰の「Another Scarred Memory」。バンド最新ニュース・ディスコグラフィ・歌詞と訳詞(ひじょうに的確)、その他バンドにまつわるさまざまな情報多数。

  • 上掲の愛蓮さんのサイトのリンク集から、Masa さんの「Placebo-online.com」。「reviews」コーナーのライヴ・レポートは文字通り世界各地で実際にこのバンドのライヴを観た記録で、圧倒される。

  • 英文では、たとえば Kite さん主宰の「Black Market America」。音楽雑誌などに掲載された Placebo 関連の記事など。

    また、英仏2カ国語で「XSOFPLANET.NET」。Placebo は英国を拠点にしているようだが、欧州大陸ではかなり人気が高いらしい。

  • BBC サイト内では、いくつかおもしろいものが読める。BBC 6music の 「Placebo プロファイル」右上から、Molko への Steve Lamacq によるインタヴュウ音声ファイルへリンクあり(URL: http://www.bbc.co.uk/6music/ram/int_placebo.ram)。Sleeping With Ghosts のミキシング最終段階で "The Bitter End" が一気に出来た……等等。これを聴くかぎり、Molko は案外インテリ風の喋りだ。

    また、BBC Radio1 の「Talk Live Now - 24/7」、Placebo の回(ヴィデオおよびその書き起こし)。

    もうひとつ、BBC South Yorkshire の(古いが、新譜発表の数カ月前)2003年4月3日付「Placebo ライヴ評」。スローテンポの曲は間延びしていてダメ、などなかなか手厳しい。

  • 最後に、上掲のバンド公式サイト「PlaceboWorld」。いくつかの曲およびプロモーション・ヴィデオの試聴可能。

    私は最新アルバムの限定版として出たカヴァ曲集おまけCD付き2枚組を買いそびれてしまい、これも Radio Paradise で聴いてちょっと気に入っていた Kate Bush の "Running Up That Hill" のスローテンポの Placebo カヴァは手元にない。今年10月には新たに既発シングルのコンピレィションが出るようだが、これには入っていないのだろうな……残念。

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“本家(?)”空耳あわ~:「Am I Right」

……というような面白サイトに偶然たどり着いた。Charles R. Grosvenor Jr さんの 「Am I Right」(英文)。元のサイトの開設は1996年とのこと(「About Us」頁)。「タモリ倶楽部」の“空耳あわ~”のほうがおそらくはるかに古いが、ネタの集積具合はこちらのサイトのほうが圧倒的。(むろん、外語の歌詞が日本語でどうおもしろ可笑しく聞こえるかと、元々の言語(英語の歌詞しか扱っていないようだ)でどのように聞き間違えるかは、まったく別物だが)

内容はいくつかのカテゴリに分かれている(同サイト左側ナヴィゲイション参照):

  • Misheard Lyrics: “空耳あわ~”と同趣向

  • Song Parodies: お笑い替歌

  • Names: ミュージシャンまたはバンド名・曲名によるお遊び

  • Real Lyrics: 原曲の歌詞のままで、笑える・しつこいほどのくり返し・あまりにも無意味・偽善的・頭にくる……など

とりあえずは、同サイト・トップ左上の「Band Search」でお好きなミュージシャンの名前(原綴)を入力しての検索をお勧めしたい。該当する記事(大半が投稿で寄せられたものとのこと)があれば、上述の4つのカテゴリに従ってズラズラと出てくる。“空耳”はしばしば多数リストされているため、"There are additional XXX〔バンド/ミュージシャン名〕 misheard lyrics available"〔他にも XXX の“空耳”あり〕のアンカーを要クリック。(ただし、主宰の Grosvenor さんもおっしゃっているとおり、必ずしもすべての“空耳”で爆笑できるわけではない)

たとえば、個人的に偏愛するバンド、Pink Floyd の“空耳”をひとつ。音韻もたしかに似ているし、“空耳”のほうの情景を想像すると爆笑もの。(これを選んで引用する当執筆人の品性が疑われるが、元々こんな程度です(苦笑)……元の正しい歌詞の直前部分を補足した以外は一切注釈なし、なおかつ「続きを読む」にて):

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BlueMars/CryoSleep サイトも全面リニューアル

再び、標記のとおりです。

今朝、気になる曲(備忘、John Serrie: "Century Seasons")が流れていたので公式サイトのプレイリストを見にいくと、php を使った新しいサイトに全面更改されていた。すでに1週間前、7月13日付でリニューアルされていた由。使用されている画像やチャンネルごとの惹句も、まことにいい落ち着き具合と雰囲気を湛えている。

この更改により、7月5日付拙稿での同局サイトに関する記述はすべて無効です。以前と較べてより直感的にわかりやすくなっているので不要かと思うが、拙記事アップデイトの意味も含め、以下念のため。

ヘッダ画像直下のナヴィゲィション・ボタン(現状では、"BLUEMARS" の文字(これ自体サイト・トップへのアンカー)の右側に5つ並んでいる)をクリックすれば、各ストリームのページが画面下段に出て、プレイリストもその下段画面右側へ統合されて表示。

番組を聴くには、サイトのトップ下段画面左側下方に3つ横並びで並んだ各チャンネル・バナー、あるいはチャンネルごとのページで下段画面左側上方の横長バナーをクリック。ストリームの内容も、徐々に新しい曲が増えてきている。

クラッキングとスパミングのせいで以前のサイトでは閉鎖されていた掲示板も、近日中に復活する模様。

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京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

この連休中にようやく読了。

本作は、自分にとってはこれまでの“京極堂シリーズ”長篇作品のうちでも類がないほど読みづらく、全体の5分の4くらいに到って中禅寺がようやく事件後の“解決”シーンに登場するまで、読むのを夥しい回数中断した。

いっぽうで、読み進む勢いがついてきて引き込まれた終局に到って、不覚にもひどくこたえた。最終章での木場刑事と伊庭元刑事とのべらんめえの応酬には救われる。末尾の一文……そう、そしてまた夏がめぐってきていた。

食い足りない気分もたしかに残る。しかしまた再読、三読するだろう。

書誌は、京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』(2003年8月、講談社(講談社ノベルス)、752頁、本体価格1500円)。今年の9月に文庫落ちする……ことはさすがにないか。

以下は単なる覚書の域を出ず、また不用意/無自覚にいわゆる“ネタバレ”を犯す懼れもあるため、すべて「続きを読む」にて。

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Carpenters を“大人買い”する

小学校高学年の頃、Carpenters の "Yesterday Once More" が大ヒットした。これがたぶん、自分が物心ついてから“洋楽”を意識した最初期の記憶だ。それ以前は、母親がふだん家で流しっぱなしにしていたAMラジオでこれまた一時期しつこいほどにくり返しかかっていた Beatles の "Let It Be" くらいしか憶えていない。ちょうど Beatles が解散を発表した時期の前後だったのだろう。

Carpenters は一度だけライヴも観た。子供たち(といっても、生徒会長を後に務めることになる優秀な友人と私の男2人組だったのだが)だけでコンサートに行くというので、課外のことなのにわざわざ学校の先生に許可をもらって出かけたのを憶えている。この兄妹デュオは、1970年代前半、ニッポン放送(当時は日本の中波帯もまだ10khz刻みで1240khzだった)で野沢那智さん進行の『カーペンターズ物語』(? 番組名は完全なうろ憶え)という週1度の帯番組が放送されるほど人気があり、私も毎週楽しみにこの番組を聴いていた。アメリカで制作されたものに日本語をかぶせていたと思うのだが、ときどき特に日本のファンへ向けた二人の肉声メッセージも流れた。私が観たライヴはヒット曲オンパレードというわけではなく、途中で元々ドラマーだった Karen Carpenter のドラム・ソロ、それにお得意のオールディーズや Burt Bacharach メドレーも挟んだ楽しいものだった。

先日 Amazon.co.jp で音楽CD1枚980円セールをやっていて、見るともなしにリストアップされたものを眺めていると、Carpenters のオリジナル・アルバムが何枚か含まれている。これまでも時々彼らの歌がラジオから流れると「ああ、そういえば子供の頃あんなに好きだったのに、結局アルバムは1枚も持っていなかったな」と思い出し、それでも長らく店頭で手にとってレジまで持っていく気にはならなかった。これも何かの縁かと、まとめて注文した。

今回購入したのは Ticket to Ride (1970) から Horizon (1975) までのスタジオ録音オリジナル・アルバム6枚。検索エンジン上位に挙がる Carpenters FAQ には、アルバムごと・曲ごとのエピソードも添えられていて、聴きながら読んでいろいろ懐かしかった。

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Arvo Part: "Cantus in memory of Benjamin Britten"

音楽を聴いていて、旋律に感動することはある。楽器の音色や歌い手の声質一発で泣かされることもある。歌ものなら、歌詞の内容や修辞、歌い方に心を揺さぶられることもある。

だが、響き……としかたぶん呼びようがないものに深い感銘を受けたのは、自分にとってはこの曲(と演奏)が初めての経験かもしれない。そしてうまく言い表す言葉や知識を残念ながら私はもたないのだが、ここでいう“響き”とは、おそらく和声(harmony)ではないような気がしている。

もちろん、音楽は時間軸に沿って流れるし、この曲でも何も変化がないわけではない。自分は楽理を理解していないのでそう思い込んでいるが、ほんとうは純粋に“響き”だけに感動したのではないかもしれない。そもそも感動の元について分析まがいのことをすることに意味があるのか疑問でもある。それでも敢えて“響き”に揺り動かされたと強弁したくなるようなものが、この曲にはある……そう思う。

標記の曲で、私が聴いたのは以下の2つの演奏だ:

  • Arvo Pärt(アルヴォ・ペルト): Tabula Rasa (ECM New Series 1275, 1984)所収、Dennis Russell Davies 指揮・ドイツ Stuttgart 国立管弦楽団演奏

  • Arvo Pärt: Fratres (NAXOS 8.553750, 1997)所収、Tamás Benedek 指揮・ハンガリー国立オペラ管弦楽団演奏〔このCDでの標題は "Cantus in memory of Benjamin Britten for strings and bells"

  • 各々、リンク先はレーベル公式サイトの当該アルバム頁宛。NAXOS 盤は演奏時間7分29秒で、5分ちょうどの ECM 盤より約2分半長い。なお、NAXOS 公式サイトでは登録さえすればなれる無料会員で、一部を試聴可能。

曲名に明らかなように、この曲は Pärt が1976年に亡くなった英国の作曲家 Benjamin Britten(リンク先は MusicWeb の Britten に関するページ、Rob Barnett さん執筆の包括的な評伝)を悼んで書いたものだという。

冒頭、鐘が鳴り、その残響が消えるギリギリのところで静かに弦が鳴り始める。ただならぬ響きだ。弦が二重か三重かの層を成して短調の音階をゆっくり下降していく。それは旋律なのだろうか? アンビエント音楽で自分には耳なじみのあるドローン(drone, 通奏低音)も、ここではヴァイオリンなど高音域の楽器の音よりさらに緩やかに下降しながら循環する。次第に演奏全体の音量が上がり、弦の重層を背景にして標題がいうとおりに弔鐘のように鐘が一定の間隔をおいて打たれる。終盤、鐘が止まり、弦だけがさらにテンポを落として音階を下降する音がしばらく続き、やがて弦の音階上の動きも止まり、最後に1音だけ鐘が鳴る。そして静寂。

「ただならぬ響き」といま書いた。一聴、真先に頭に浮かんだのがこの言葉だった。悲歎、ほとんど純粋で透明なまでの。何度も書くが、こんな音楽は自分にとっては初めてだった。出遭えてよかった。

この Pärt という、かつて“バルト三国”と呼ばれた国々のうちのひとつエストニアに生まれ、ソヴィエト政権下で苦労した作曲家のことは全然知らなかった。先日の Tom Waits についての拙記事を書く契機となった Kompf さんのウェブログ「快楽原則」、2004年6月14日付「TABULA RASA」で初めて名前を知り、そのエントリで取り上げられていたこのCD(= 上記 ECM 盤)も、先日のCD大量買い込みで入手。トラックバックを送ります。Kompf さんがお書きになったことは、Pärt の上掲2枚の作品を聴くうえで非常に参考にさせていただいた。ありがとうございました。

以下、やや脱線。

「ペルト」の表記は本来ならばエストニア語で(? いずれにせよエストニア語ではウムラウトと呼んでいないのではないかとは思うが)「Pärt」です。本サイトで利用しているウェブログ・ツールでは、残念ながらエントリ標題に実体参照表記を用いると表記冒頭の「&」が二重に解釈されて変換されてしまい、また RSS 生成でも不具合が起きるようなので、標題のみ「Part」とせざるをえませんでした。

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BlueMars/CryoSleep ストリーミング再開

うっかり見過ごしていた……(恥)。標記のとおりです(嬉)。

世界中に熱心なリスナーをもっていたアンビエント音楽中心のmp3ストリーミング放送局 BlueMars/CryoSleep の復活を報せるメールが、先週末の土曜日(2004年7月3日)午前11時半過ぎに、同局を主宰する lone さんから届いていた。1年半強ぶりの放送再開とのこと。

このストリーミングの番組内容については、よろしければ2004年1月26日付拙稿「mp3ストリーミング:BlueMars/CryoSleep」もご笑読ください。放送再開のメールに気づいたのが本日朝のことで、まだじっくり聴くことができていないが、どうやら選曲の方向性には大幅な変更はない模様。

また、この長期にわたる“停波”により生じた空白を穴埋めするべく、放送中止以前の BlueMars と CryoSleep の2波に加えて、第3のチャンネル「Voices From Within」を新設した由。従前の同局公式サイトに新しく付け加えられたバナーには、結跏趺坐で瞑想するシャカらしき浅黒い肌の人物が描かれている。こちらは(しばらく聴いてみたかぎりでは)、日本・インド・チベットの仏教寺院での僧侶による読経(!)やブルガリア民謡、Sheila Chandra(リンク先は公式サイト、要Flashプラグイン)など、非西洋的な響きがする音を主に流しているようだ。

これら3つのチャンネルのプレイリストは、上掲の同局公式サイトの下方ナヴィゲィション・エリア内「Music history」から、参照時点から溯って約1時間分まで参照可能。ストリーム自体はその左隣の3つのリンク、あるいは“淋しげな宇宙飛行士”(と私が勝手に呼んでいる)BlueMars ロゴの左・右・下に配されたバナーをクリックすることで聴くことができる。

上掲拙稿にも書いたが、個人にとっては相当重たいネット放送での音楽使用料負担(米国内での使用料徴収システムの制度化・明文化)と、主宰の lone さん自身が多忙で番組制作に時間を割けなくなってきたとのことなど諸事情から推して、この局の復活はほぼ100%ないものと思っていた。嬉しいかぎり。

眠れずに過ごした深夜や明け方などにぜひ一度、聴いてみてください。

〔04年7月20日追記〕公式サイトも7月13日付で全面リニューアルされた。7月20日付拙稿をご覧ください。〔04年7月20日追記終〕

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