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『山田風太郎妖異小説コレクション』

まことに優れた選集だと思う。お薦めしたい。

「笊ノ目万兵衛門外へ」

最初に読んだ山田風太郎作品は、たしか学生時代、古本屋で何冊か買い込んできた角川文庫版「忍法帖」シリーズだった。作家には大変失礼ながら、どの「忍法帖」を読んだか、いま振り返ると思い出せない。読み進んでいる間はその荒唐無稽さに夢中になっても、読後にはさほど強い印象が残らなかった。

それからしばらく後、新潮社から単行本で刊行されてベスト・セラーになった縄田一男編「時代小説の楽しみ」12巻(+別巻1)が順次文庫化された。時代小説作家としての風太郎の実力を遅まきながら思い知ることになったのは、この傑作選集の9巻目『維新の群像』に収められた「笊ノ目万兵衛門外へ」だった。恥ずかしながら私は、作家が「忍法帖」もの以外にも数多くの時代小説を書いていたことを、このシリーズに採録された彼の何篇かの作品を通じて初めて知った。

「笊ノ目万兵衛門外へ」は、文庫版で51頁、原稿用紙で100枚を切るくらいの中篇だ。標題に言う「門外」とは幕末、1862(文久2)年に水戸浪士が老中安藤対馬守を襲撃した「坂下門外の変」のこと。笊ノ目(ざるのめ)万兵衛はむろん本篇の主人公で、町奉行所同心。作品は、対馬守が寺社奉行を務めていた時代からその腕と人物に惚れ込み、目をかけていた万兵衛の硬骨漢ぶりを描くいくつかのエピソードを描く。そして、尊皇攘夷の時代潮流が、この辣腕の能吏にして人間味溢れる武士を否応なく呑み込むさま、役人(しかも良質の)という体制側の人間を、ついには自分を引き立ててくれた恩義ある要人の暗殺へと駆り立てるに到る経緯を、説得力をもって描き切っている。この一篇は、「雪の日やあれも人の子樽拾い」という一句を引いて書き始められるが、この俳句が微妙に形を変えて言及される終結部は、実に深い余韻を残す。

この「笊ノ目万兵衛門外へ」を読んで以来、風太郎は“わかっている”作家だ、というのが私の評価になった。風太郎に何が“わかって”いるのか、明確に名指すことは自分にはなかなかかなわないのだが、おそらくは(大仰な物言いながら)人という生き物の本質のようなもの……ではないか。彼の小説のなかでも白眉と呼ぶに足るものにはどれも、まるで読み手の肚を直接ぐっと握って揺さぶるような迫力と力強さを感じる。もちろん、こうした洞察力は、優れた作家や芸術家であれば誰でも具えているものかもしれない。ただ風太郎の場合には、綺麗事でない、清濁ごた混ぜの総体としての“人間性”の奥底(おうてい)をしっかりと掴んだうえで、それを物語の興趣に乗せて、まことに読みやすい、あるいは読んで楽しいかたちで作品に仕上げる群を抜いた力量、こう言ってよければ確かな“職人芸”がある……と思う。

風太郎“忍法帖・明治もの以外の時代小説”

本稿標題に掲げた「山田風太郎妖異小説コレクション」は、徳間書店・徳間文庫から2003–04年にかけて刊行された。以下にあるとおり、現時点では一応完結していて全4巻。“わかっている”作家、風太郎の時代小説の世界を、存分に堪能することができる。第1巻巻末の「解説」で、作品選定も担当された(と推察される)日下三蔵さんが、この選集の企画意図をわかりやすく述べておられる:

さて、山田風太郎の作品を大ざっぱに分類すると、以下のようになる。

  1. 忍法帖 40冊

  2. 明治もの 10冊

  3. 室町もの 5冊

  4. それ以外の時代小説 30冊

  5. 現代ミステリ 30冊

  6. ノンフィクション・エッセイ 15冊

……〔この間、上記に従って風太郎作品の分類ごとに本「解説」執筆時点でどのような刊本が入手可能か列記〕……

この〈山田風太郎妖異小説コレクション〉は、分類4に当たる忍法帖・明治もの以外の時代小説を、単行本未収録作品、少年ものまで含めて集大成しようという企画である。……

文庫で三十冊を出し直すのは大変なので、本シリーズでは内容・傾向に応じて増補・合本化を行い、一冊につき約二冊分の作品を収録してある。とりあえず第一期として四冊を刊行するが、ご支持をいただけるならば、第二期、第三期と続けて刊行し、最終的に山田風太郎の時代小説を完全収録した全集にしたいと思っている。読者所兄姉のご愛顧とご支援を願えれば幸いである。

既刊分4巻で総計2300頁強あるが、読みつけてしまえばあっという間、各巻のまとまりもよい。物故作家の作品を、エディターシップの効いた編集によって、経時的な変遷の軌跡を鳥瞰しつつ楽しむことができるのは、読者冥利のひとつと言えるのではないだろうか。そしてこれでも上記分類4全体のまだ4分の1程度しかカヴァされていないのだ。

この『山田風太郎妖異小説コレクション』の編者日下氏は、編者として明記されているものだけでも『怪奇探偵小説傑作選』(筑摩書房・ちくま文庫)や『本格ミステリコレクション』(河出書房新社・河出文庫)、『江戸川乱歩全短篇』さらに『山田風太郎忍法帖短篇全集』(いずれもちくま文庫)をはじめとして、多くの選集・全集・アンソロジーを非常に丁寧に、かつ精力的に編集しておられることでも知られる。上の引用部分末尾にあるように、ささやかながら私も風太郎“それ以外の時代小説”全集の実現を切望する一人として、御健闘と今後のさらなるご活躍を祈念したい。

各巻内容

続いて、各巻末の日下氏による解説から各巻の編集意図にふれた箇所を抜粋し、巻ごとの内容をご紹介する(パーレン内は刊行年時、総頁数、本体価格):

  1. 『地獄太夫: 初期短篇集』(2003年10月、492頁、800円)

    「デビュー直後の昭和二十二年から昭和三十八年までの十六年間に発表された単発短篇十七篇を収録」

  2. 『山屋敷秘図: 切支丹・異国小説集』(2003年12月、598頁、914円)

    「切支丹に材を採った中・短篇十一篇と異国を舞台にした三短篇の計十四篇を収めた」

  3. 『妖説忠臣蔵/女人国(ありんすこく)伝奇』(2004年2月、622頁、952円)

    「忠臣蔵を扱った『妖説忠臣蔵』と吉原を舞台にした『女人国伝奇』、二つの連作短篇集を合本にしてすべて収めた」

  4. 『白波五人帖/いだてん百里』(2004年4月、640頁、952円)

    「歌舞伎の白波五人男を風太郎流に料理した『白波五人帖』と撫衆(なでし)の世界を描いた『いだてん百里』、二つの連作短篇集を合本にして収めた。前巻所収の『女人国(ありんすこく)伝奇』と『妖説忠臣蔵』がストーリー的には独立した「テーマ連作」だったのに対して、本書収録の二作はキャラクターが共通し、ストーリー的にも連続した連作となっている」

各巻読みどころ満載で、どれか1冊に絞れと言われると困るが、敢えて挙げれば、連作ではなくさまざまな雑誌に発表された単発作品を集めて編まれた第1巻『地獄太夫: 初期短篇集』になろうか。半世紀を超える作家としてのキャリアの比較的初期に書かれたものだが、どれも十分な完成度を具え、かつ最もヴァラエティに富んだ題材・時代風景を楽しめるという点で推せる。

幾度もくり返して恐縮だが、風太郎の“わかっている”作風は、この第1巻ではたとえば、長崎へ留学してシーボルト門下で蘭法を修めた医者・その元許婚・彼女を奪った薬種問屋主人の三角関係を描き、恋敵の種を宿した赤ん坊の出産シーンに絶妙のクライマックスを設定し、さらに残酷などんでん返しまで加えて凄絶な「芍薬屋夫人」、同じく三角関係を取り上げながら剣の求道と武芸者の業とも呼ぶべきものを絡めた「死顔を見せるな」、死んだ女郎をめぐる愛憎を、風狂の沙門一休を狂言廻し(かつ主役)に据えて謎解き風に展開し、人の無常と愛染を強烈に読み手に感じさせる標題篇「地獄太夫」などに顕著だ。まさに珠玉が目白押しと言ってもいい。

連作標題に「妖説」とあるように、おなじみの忠臣蔵主役(?)大石内蔵助が物ノ怪じみた気味悪さを感じさせながらちらちらと姿を見せる伝奇短篇を含む第3巻、全篇は痛快な悪漢小説としてすらすら読めるものの、日本左衛門に宝暦治水の縁起を絡めてさらに深みと面白味を増した『白波五人帖』を含む第4巻も捨て難い。結局どの巻もお薦めできるということになるのだが、最後に一点。

第2巻『山屋敷秘図: 切支丹・異国小説集』解説で、日下氏はこう書いておられる:

風太郎作品には、しばしば正と邪、明と暗、光と影の二項対立が登場するが、信仰者と弾圧者、日本人と外国人、伴天連ところび伴天連といった対立軸を備えた切支丹ものは、著者にとって格好のテーマであったに違いない。

この指摘どおり、第2巻にはころび伴天連ジョゼフ・キアラ(岡本三右衛門)を主人公にした標題作「山屋敷秘図」や、踏み絵による宗門改(あらため)を実施して苛烈な宗教弾圧を加えた長崎奉行・竹中采女正重次の生涯を描いた「踏絵の軍師」など、これまた傑作が多数収録されている。作中の人物が見せる、人が生きていくうえで支柱ともなり軛ともなる信仰とのさまざまな距離のとり方に、ひっそりと『戦中派不戦日記』を書き継いでいた“人間”風太郎の、天皇崇拝や“大東亜戦争”の時世に生きて悩んだ姿を透かして見てとることは、おそらく誰もが試みるだろう。そして、書き手にとってはたぶん、正統と異端とを峻別する(現人神を含めた)一神教は、截然と二項に分かたれるぶんだけ、より鮮やかなドラマを産みやすい。この巻所収の風太郎の作品も、陰翳濃く起伏に富んで実におもしろい。

ただ、集中に一篇、同じく信仰と宗教に関わる世界を扱いながら異質の印象を残す作品が含まれている。釈迦在世の初期仏教教団とその周辺を描いた「蓮華盗賊」だ。これは正統らしい正統をもたず、多神教とも一神教ともにわかに断定できない仏教の特質に因るところも大きいのかもしれないが、作中では覚者たる釈迦すら悩んでいるさまが示唆的に描かれ、絶対神をいただく一神教の世界がもつ重苦しい圧迫感がほとんど感じられない。それでいて物語は十分に劇的で、読後感は深く透徹している。舞台設定の類似性のみから Hermann Hesse(ヘルマン・ヘッセ)の『シッダータ(Siddhartha)』に較べるのは安易に過ぎるかもしれないが、風太郎はこんな傑作も書いていたのだなと、(ちょっと言葉は悪いかもしれないが)大きな拾い物をしたような気がして嬉しかった。ぜひご一読をお勧めしたい。

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  • 末尾、実にとり散らかした書き方になっている。十分まとめられないままで忸怩たる思いがするが、書きかけてもう2カ月近く放置していて、さらに今月はまだ一つもエントリを書いていなかったことにこの月末近くになってようやく気づき、無理やり書き終えてしまうことにした。御寛恕を乞う次第です。

  • 上掲本文でとうに露呈しているが、風太郎に関して、私自身はさほど熱心な読者であったことはない。「忍法帖」シリーズや“明治物”さらには推理小説など、まとめて読んでみたいと思いつつ、なかなか果たせないままだ。この『妖異小説コレクション』は、講談社や光文社などと並んで、文庫(に限らないのかもしれないが)をすぐに絶版にしてしまう版元から出ていて、しかも漠然と好きなジャンルである時代小説を集めたものだということで、慌てて買ってきた。拙文のように小理窟を捏ねなくとも、いわゆる“ページ・ターナー(page-turner)”であることは言うまでもない。

  • 風太郎作品に関するウェブ上リソースとして、以下を挙げる:

  • 備忘。「笊ノ目万兵衛門外へ」は、上記お二方の御労作によれば、最新アンソロジーとしては廣済堂出版・廣済堂文庫『山田風太郎傑作大全19 ヤマトフの逃亡』に収録されている由。

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“正体未詳”の短篇作家、登史草兵のこと

本稿は、以下でも述べるとおり、ウェブサイト探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち主宰様よりご教示いただいた情報に内容の大半を負っている。当方から唐突に差し上げた煩瑣な問い合わせにすぐさま懇切な返信をくださり、なおかつその情報の拙稿での紹介をご快諾いただいた同氏に、冒頭に記して厚く御礼申し上げます。

伝えられるところによれば、短篇わずか3篇を公刊したのみ、その後は筆を折って消息も失われた作家、登史草兵による見事な作品「蝉」を読んだ。

「蝉」

「蝉」は400字詰め30枚強の短篇であるにもかかわらず、堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説だ。物語の舞台は、一人称「私」によってこんなふうに語り始められる:

沈鬱な書き出しは、この話が悲劇であることを暗示している。そして何より、過不足ない描写と腰が据わって落ち着いた文体とに、私はまずひどく興味を惹かれた。漢語の多用(……というよりも、昨今の作家が(編集者による手入れと相俟って)版面が“黒く”なることを嫌って避ける漢字の頻出)も、徐々に明らかにされる悲劇の内実と釣り合うに十分な重みを文章に与えている。自家薬籠中のものとなっていて浮ついた感じがしない。

この語り手「私」は、こんな男だ:

父親を早くに亡くし、孤立した山上の古い「砦」屋敷に暮らす、経済的には何一つ不自由しない母子家庭。そこで育った「私」。物語には、彼を除けばあとは女性しか登場しない。上の引用箇所でいう「女主」たる「私」の母親、「砦」を下りて東京で出遭った「私」の妻「蛍子(けいこ)」、そして、「私」と母との安逸な蜜月を壊すきっかけとなった(また、その限りの役割しか物語のなかでは与えられていない)、青年時代の「恋人」。

「恋人」を得て、若さにまかせて結婚を決意した「私」は、母親によって激しく反対される。

息子が自分を捨てて他の女のもとへ走る時にはその女を殺すという、母親のこの常軌を逸した物言いには、隠微な伏線がある。彼女は一人っ子の「私」を18歳で出産、32歳のとき夫に先立たれたが、遺産により生活苦はない。「美食と化粧に日を送っていた為に非常に若く見え、私は母を眼の前にしながら、どうかすると姉ではないかと疑う事さえあった」。そして(下記の引用箇所は上掲の会話を若干遡る):

「私」との続柄すら疑わせるほど濃密な、母親からのインセスト的愛情と嫉妬、そして人里離れた山中の屋敷での孤立。道具立てはこれで揃う。物語はこうして背景を明らかにして舞台を整えた後、5年ぶりに戻ってきた「砦」での「私」の行動を描く。彼のもとにはすでに誰もいない。母は亡く、妻も突然姿を消した。物心ついてからの記憶と情念とが文字通り染みついているような邸に独り。

……ここから先は、やはり実際に作品を読んでいただくしかない。なぜ母親は、あからさまに近親相姦的な愛情の示し方を「私」に対してしたのか。「私」の妻が、失踪当日までまったく何の異状もなかったにもかかわらず、唐突に姿を消したのはなぜか。妻はどこにいるのか。すでに伏線部分で謎はいくつか用意されている。そして、無人だったはずの邸には真新しい足跡がある。なぜか。誰がいるのか。

「堂々たる迷宮様の結構を具えた幻想小説」と冒頭に書いた。その所以もまた、初読の興趣をそぐことなくこんな駄文でほのめかすことすら、私の手には余る。多めに引用したのは、この作家の文章がもつ魅力をできるだけ直接ご覧に入れたかったからだ。これに加えて、実際の作品では、巧みな語り口とプロットの錯綜とによるまさしく目くるめくような揺らぎ、強烈な眩暈のようなものが、直前に示した引用箇所あたりから最後の一文へ向けて畳み込み、なだれ込むように続く。

活字になった情報

私はこの「蝉」を卒読、感嘆して再読三読した。登史草兵とは寡聞にして初めて目にする名前だ、いったいこれほどの秀作を物したこの作家はどういう人で、他にどんなものを書いたのだろう。私がこの短篇を読んだアンソロジー『夢見る妖虫たち』(書誌関連の詳細は後述)巻末には、わずかに以下のような「著者紹介」が付されていた:

詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという。わずか数篇の創作で筆を絶ってしまった。『蝉』は雑誌「探偵実話」に発表された、その数少ない作品のひとつである。

しかしこれだけでは何もわからないに等しい。可能であれば他の作品を読んでみたい。そこでまた、例のごとくにウェブ上での検索を試みたのだった。

本稿執筆時点で改めて検索エンジンにて「登史草兵」を検索語にして結果を見たが、Google(日本)で20件強、Yahoo(日本)と Ask.jp で16、7件程度だ。私が最初に検索してみた時もおそらくこれと同程度だったはずだ。しかも、検索でみつかる記述の大半は、この作家の「数少ない作品」を収めたアンソロジーの収録作品を列挙したなかに、この名前が作者として併記されたかたちで現れるものだった。

唯一といっていい直接的な収穫は、この作家の「葦」と題された短篇が別のアンソロジーに収録されており、現在でも比較的容易に入手可能だと判明したことだった。それが鮎川哲也編『怪奇探偵小説集』全3巻の2巻めだ。同書は作品ごとの中扉見返しに簡略な著者紹介を付している。そこにはこうある:

登史草兵(とし そうへい)
本名は斎藤草兵だという。大正十年山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない。昭和二十七年に登場して短編を三本書いただけで、早くも二十九年には筆を折っている。

また、編者執筆による巻末「解説」の登史草兵作「葦」の条には、やや詳しい記述がある:

掲載誌は「探偵実話」昭和二十八年三月号。氏の作品としては本編〔=「葦」〕のほかに《蝉》とか〔ママ〕《鬼》とがある程度で、余技作家というよりもアマチュア作家と呼んだほうがふさわしいのだが、しっかりした筆力から判断するとズブの素人だとは思えない。この人もまた、正体不明の謎の作家なのである。

休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人で、氏から聞いた話を思い出してみると、山形県だか秋田県の産であるらしく、岩手県に本拠を置く歌人のグループに籍をおいたとか。後年、双葉社の編集者に依頼して現地の歌人に尋ねてもらおうとしたものの、成功しなかった。

以上3つの引用にあることが、私が現在までに知りえた、登史草兵という作家に関するすべてだ。自分の甚だ粗略な調べ方(初出誌は言うまでもなく、その後版元や判型を変えて出た、登史草兵作品を収めたアンソロジーも現物に当たっていない。要は、自分がたまたま見ることができたアンソロジー僅か2点を確認したのみ)でわかるのがそもそもこの程度のことになってしまうのは当然の報いと言うべきだが、それにしても情報が少ない。

長らく斯界で活躍され、人脈もあり事情通でもあったにちがいない鮎川哲也の上掲の記述にも、一見して明らかな“ふらつき”がある。「山形県に生まれたこと以外は何一つ分かっていない」(著者紹介)・「山形県だか秋田県の産であるらしく」(「解説」)、また「短編を三本書いただけ」(著者紹介)・「氏の作品としては本編のほかに《蝉》とか《鬼》とがある程度で」(「解説」)と、著者紹介(これは無記名だが、「解説」他篇での書きぶりの随所から、編者の鮎川氏が書いたものと推測できる)では断定、「解説」では言い切っていない。どうやら登史草兵については、出身地や発表作品(の点数)すら伝聞だったことが窺われる。

一方で、「蝉」を収録した『夢見る妖虫たち』「著者紹介」にある「詩人クラブを主宰していた新聞記者であったという」は、(短いせいもあって)全体にもう少しはっきりしているように読める。しかし、こちらも文末の「……という」から推してほぼ確実に伝聞だろう。この「著者紹介」は無記名で、おそらくは同書巻末「解題」を書いている“さたな  きあ”執筆かと推定されるが、情報源は鮎川哲也が拠ったものと別系統かどうか。これは私個人による全くの臆測だが、登史草兵のアイデンティティに関して知られていた話の出処は同一かつ単一だったのではないか。鮎川が書いた推測「ズブの素人だとは思えない」=ふだんから文章を書き慣れている、文筆に関わる教師または活字メディア関連の人間(『怪奇探偵小説集』解説で、鮎川はしばしば同集所収の他の作家についてもこれと同種の推測を述べている)が、『夢見る妖虫たち』ではより具体的な職業名「新聞記者」へ、また「歌人のグループに籍をおいた」が転じて「詩人クラブを主宰」となった……というあたりが、真相ではなかったろうか。

そもそも、鮎川が「……正体不明の謎の作家」と書かねばならなかった以上、私ごとき一介の(しかも大幅に遅れて来た)読者に何がわかろうはずもない。奥付で1998年6月第1刷発行となっているハルキ文庫版『怪奇探偵小説集』2の巻末にも、編集部注記として「所在が確認できませんでした」と書かれているなかに登史草兵の名前も挙げられている。せめて、この作家に関わる公刊された情報をこの駄文へ転記させていただき、登史草兵の名前が少しでも多くの方の目にふれる機会をささやかながらつくることで、何かさらに判明することでもあればいい……と夢想するばかりだ。

雑誌『幻影城』島崎編集長

上で引用した鮎川哲也による「解説」には、登史草兵は「休刊となってしまった推理小説誌「幻影城」の島崎編集長が再発見した人」とあった。ここでさらに臆測をふくらませれば、おそらく登史草兵に関して現在までかろうじて伝わっている一次(と、ここでは呼んでおこう)情報の出処は、電話か郵便を通じて(あるいは直接面談して?)作家とやりとりしたであろう初出雑誌の担当編集者を除けば、結局のところこの島崎博という方(だけ)だったのではないか。

私自身は店頭で見かけてなんとなくそんな雑誌もあったような……という程度のぼんやりした記憶しか残っていない。『幻影城』は、1975年から1979年にかけて刊行されていた探偵小説専門誌だったそうだ。島崎さんはこの編集人を務めておられ、同時に個人蔵で膨大な量の探偵小説関連文献のコレクションをお持ちだった由。詳しくは、同誌に関する実に丁寧に作られたウェブサイト、探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たちをぜひともご参照願いたい。とくに、『幻影城』休刊/廃刊以降の島崎博さんについては、同サイト内「雑文」セクション、「「幻影城」を支えた友情-島崎博さんの消息-」(2004年3月16日付)という大変興味深いエッセイをご覧いただきたい。

最近は目にすることもなくなってしまったこの「探偵小説」という日本語の括りは、その名前のとおり推理謎解きは当然のこと、怪奇幻想ものから“空想科学”小説、果てはエログロにいたるまでの広範な領域をまとめて呼んだものだ。同ウェブサイトで詳細に記録されている同誌各号の目次をみると、これらのサブ・ジャンル(? としてよいものか)をくまなくカヴァした、実にわくわくするような内容の雑誌だったことがわかる。

私が登史草兵「蝉」を読んだアンソロジーには、初出の記録は単行本までしか遡っていなかった。このため、本稿冒頭にもふれたとおり、『幻影城』に関するこちらのサイトの同誌目次の箇所(「探偵小説専門誌「幻影城」の頁」 --> 「探偵小説専門誌「幻影城」目次リスト」)にウェブ上検索で行き当たって初めて、同作品が(おそらく初出誌登場以来初めて)再録されたのが1975年刊の『幻影城』第4号巻頭特集「幻想小説」であることを知った。

自力で知ることができた情報のあまりの少なさに、ほとんどすがるような思いで同サイト主宰様宛てに問い合わせのメールを差し上げたところ、早速何点か貴重な情報を教えていただいた。お手を煩わせて、わざわざ『日本ミステリー事典』 『日本推理小説辞典』といった、斯界のリファレンス文献を調べてもくださった(過去に幾度か書いたように、私はそもそもまともなミステリ読者ではないため、これらの文献の存在自体を知らなかった)。ただし、残念ながら登史草兵に関しては両書いずれにも記載がない旨もお知らせいただいた。

次節は、同氏からのご教示に、ごくごく僅かながらその後私自身で調べがついたことを加え、まとめたものです。

登史草兵 作品書誌

大層な見出しをつけたが、遺憾ながら私は、雑誌掲載を経て単行本に収録されたような小説(またその他の文学作品)の書誌について、望ましい(あるいは正しい)記述の仕方を知らない。以下は、公刊されたことが知られている登史草兵作品の3篇の短篇を、初出誌刊行年時に従って単純に経時的に列挙したものに過ぎない。

ご覧いただければおわかりのとおり、各作品の初出誌はすべて敗戦後10年を経過しないうちに刊行されたものだ。雑誌であることもあり、さすがに地元の公共図書館経由ではこれらの現物をおいそれと確認することができない。後に作品を再録したアンソロジーの各種刊本についても事情は同じだ。このため、未確認の点を多数残した、あくまで便宜的なものであることをご承知おき願いたい。

  1. 「蝉」

    1. 『探偵実話』誌 1952(昭和27)年10月号、世界社

    2. 『幻影城』誌 第4(1975(昭和50)年5月)号、絃映社

    3. 中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1978年、双葉社(新書判?)

    4. 中島河太郎編『怪談ミステリー集』 1985年、双葉社・双葉文庫

    5. 『夢見る妖虫たち』 1994年、北宋社

    6. 『幻想小説大全』 2002年、北宋社(同社刊、上記 v と他2冊との合本)

  2. 「葦」

    1. 『探偵実話』誌 1953(昭和28)年3月号、世界社

    2. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1976年7月、双葉社(新書判?)

    3. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集 続』 1984年、双葉社・双葉文庫

    4. 鮎川哲也編『怪奇探偵小説集2』 1998年6月、角川春樹事務所・ハルキ文庫

  3. 「鬼」

    1. 『オール読切』誌 1954(昭和29)年1月号、版元未詳

以上が、どうやら現時点までで判明している(ただし、くり返すがおそらく網羅的ではない)登史草兵作品の刊行履歴だ。

このうち、「鬼」については、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様が調べてくださり、「中島河太郎の「推理小説研究12号 戦後推理小説総目録」によると」上記雑誌に掲載されたとの記述がある由。この『オール読切』誌の版元は、残念ながら私では調べ切れなかった。

また、「蝉」と「葦」の2作品のアンソロジー収録記録については、同じく「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様からご教示いただいた“ミステリ、SF、ホラー小説のアンソロジーのデータベース”ウェブサイト、野村宏平様の Index to Anthologies を参照させていただいた。この国ではなぜかしばしば軽視されるアンソロジーに関する貴重なデータを編輯・公開してくださっている野村様にも、記して御礼申し上げます。

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「蝉」を読む機会を得たアンソロジー『夢見る妖虫たち』を図書館で借りてきたのが発端で、しかもこの本を借りた当初の目当ては、同書に収められた別の作家の短篇だった。「蝉」を読んで驚き、しばらく登史草兵について調べてみようとしたが、とにかく右も左もわからない。ほとほと困り果ててしまった。

この5月17日付で、「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」主宰様にメールを差し上げている。折り返し返信を頂戴しいろいろご教示賜ったうえに、厚かましくもこの件について自分のところで書きたい意向をお知らせし、ありがたいことにこれにもご快諾いただいた。それにもかかわらず、すでに7週間も経過してしまった。

作品紹介の部分をなかなか思うように書けなかったことが遅延の主な理由ですが、熱心な探偵/ミステリ/幻想小説読者でもない素人の私が、こんな辺境のサイトで駄文を連ねて、果してよかったのかどうか。上述のとおり再録によっていささか『幻影城』と関わりをもつことになったこの作家と作品にとっては、同誌に関するおそらく最良のリソースである同サイトで、この方面に関心の深い、またはるかに多くの閲覧者の方の目に触れたほうが……という気がしてならない。この点について同氏にお詫びするとともに、末尾ながら再度、ご助力に御礼申し上げます。

本文中、登史草兵第2作「葦」についてはまったくふれていない。文庫本で今でも入手可能なため、こちらのほうが読むには手頃だと思う。「最果ての北の国」を舞台にした、メルヘン色の濃厚な幻想譚だ。私見では「蝉」の水準には及んでいないが、それでも文章は端整で、この作家の伎倆の確かさには疑問の余地はない。

現時点で未読の「鬼」は、はたしていつか読む機会が訪れるだろうか。アンソロジーにこれまで再録されたことがないようなのも、疑えばいくつか理由が想像できる。探すでもなく、気長に待ってみようかと、今は思っている。

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Robert B Parker インタヴュウ@Dumpster Bust

米国・カリフォルニア州在住の Eric Berlin さんという方のウェブログ Dumpster Bust に、今年(2005年)3月13日に Berlin さんが自ら取材した「スペンサー・シリーズ」の著者ロバート・B・パーカー(RBP, →関連拙稿12)のインタヴュウが掲載されている。長尺で、「Dumpster Bust Interviews: Robert B. Parker」と題された全3部(英文)。

サイン会のため近傍の書店を訪れた作家に Berlin さんが丁寧に問いかけ、RBP も誠実にかつ随所にユーモアを交えて答えており、読み応え十分の見事な会見記に仕上がっている。RBP 作品の愛読者には一読をお勧めしたい。URL は以下のとおり(各回冒頭に記された概要のみ、邦訳してご紹介):

  1. Part I: 作家として世に出る以前・スペンサーの“相棒”ホークのこと・ホークの科白を黒人の喋りらしく書き上げる・スペンサーとスーザンの今後・「スペンサー・シリーズ」最新作 Cold Service (2005) について

  2. Part II: 作家としての基本思想(philosophy)・好き/嫌いな作家・アメリカ探偵小説の基盤を成してきたもの

  3. Part III: さらに作家としての基本思想について・インターネットの突飛さ(vagaries)・心臓内科医の重要性

「スペンサー・シリーズ」でスペンサーとスーザンが愛犬パール(Pearl the Wonder Dog)を飼っているように、実生活でも作家と彼の愛妻 Joan(このインタヴュウでもさんざんのろけている)がパールという名前の犬を飼っているとの話(第1部)は、私には初耳でちょっと驚いた。人物としての魅力の点で読み方によっては主人公スペンサーを上まわるホークは、スペンサーの「裏面/“黒い”側(dark side)」であって、実は二人は本質的には同一人物だと作家が述べるくだり(第2部)は、これもシリーズ通読まだわずかに一度の自分には考えもつかなかったことで大変興味深い。

第3部のみ、エントリ冒頭にある要約はインタヴュウの実際の内容とはかなり違っている。「ネットの突飛さ」は、タイプライタからコンピュータでの執筆へと道具が変わると文体その他にどんな影響が出るかという、以前日本でもワープロが普及した際にしばしば取り上げられた話題。個人的には、ローマ字アルファベットしか使わない場合、さほど関係はないのではと漠然と思っていたが、RBP は計算機上での執筆によって容易になった切り貼りと、それが文章に与える影響についてとくに言及している。インタヴュウ終結部の「心臓内科医」云々は、物書きが世に出るためには何をすべきか、という話。基本的には才能があるか否かで決まる、文章表現に上達の余地はさほどない……等々。

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原『愚か者死すべし』関連2題

「渡辺探偵事務所の沢崎」“復帰”第1作を読んだ。この作家を知ったのは非常に遅く、デビュウ作『そして夜は甦る』が文庫になった際(1995年、単行本は1988年刊の由)、書店店頭で偶然手にして何か強烈に惹かれる“におい”を感じ、買い求めてからだった。

謎解きに興味が(もて)ない自分には、今回のストーリーも作家のこれまでの諸作に違わず、かなり錯綜しているように思えた(――が、どこかで目にしたミステリ好きの方の読後感には、冒頭を読んだだけで真相がほぼわかったというものもあり、恐れ入るばかりだ)。

私にとっては原の作品もまた、京極夏彦や笠井潔の小説などと同列に、自分では思いもつかない世界の見え方/“視方(みかた)”を呈示してくれる点、そしてその視方で眺めた現実が顕わす異相を、最大の楽しみにできる類のものだ。新作が出ると、ついシリーズ最初の作品から順を追って再読しようとし、途中我慢ができなくなって新作を読んでしまうのも似ている。

もちろん、主人公の探偵・沢崎は、中禅寺秋彦や矢吹駆のように饒舌には語らない。彼は口数が少ない。そして徹底して意識的な“aloner”で、決して他者にまとわりつかず、逆にしばしば自身が吐く言葉によってわざと遠ざける(しかし行動ではそれをしない)。彼にとって親しい人や大切な人は、まったくと言っていいほど作品には現われない。探偵に語らせる言葉で世界を描いてみせる代わりに、沢崎はただただ己のみを恃む、(ひねくれているように映りながらも)真直ぐな物差しとして、作家によってこの国の現在に差し込まれる。そこで生じる軋轢や攪拌作用の結果から、何かが視えてくる。

どういう“視え方”なのか、その一端を窺うことができる発言を作家ご本人がしているのをウェブ上でみつけた:

以下、URLはアンカーにせず平文で列挙するにとどめる。新聞社と放送局のサイト所掲のため、一定期間経過後は下記のURLでは閲覧不能になると思われる。なお対談については、私自身は毎日新聞を購読していないので、本紙に掲載されたものの電子版なのかは未詳。

下記の対談、日付を本稿公開当初「2005年2月26日付」としていたが、これは私自身がこのページを見にいった時点のもので、まったくの誤りでした。大変失礼しました。対談頭書によると、どうやら実際には2005年正月頃のものか。

  • MSN Mainichi INTERACTIVE --> 社会 --> 学芸 --> 学芸の特集 --> 「おじさん対談・普通でいこう」(構成:米本浩二、写真:鮫島弘樹、編集:坂村和好の各氏)

    • “自由は厄介だけど”(対談上篇)
      http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/etc/taidan/index.html

    • “戦後60年「不安」と「滅亡」”(対談下篇)
      http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/etc/taidan/02.html

脱力しそうな対談タイトルはさて措き、とくに下篇での作家の発言、沢崎は「物事を偏見抜きで見る」、沢崎は「何も持っていない男」だ……などは、むろん作品を読めば一目瞭然だが、作者ご本人の口から語られると改めて納得する。

世に出て以来20年近い間に、昨年(2004年)11月末刊の『愚か者……』を含め長篇4作・短篇集1冊・エッセイ集1冊という寡作な作家も、新刊上梓のこの機会に各種メディアに露出しているようだ。もう1件:

  • NHK BS-2 週刊ブックレビュー(リンク先は同番組公式頁トップ)
    特集「原りょう 最新作『愚か者死すべし』を語る」
    http://www.nhk.or.jp/book/prog/index.html
    (本日(05年2月27日)08:00–08:54、再放送2月28日00:30–01:24)

この作家の小説・エッセイに特有の読後感を簡潔に言い表す言葉を、第1作を読んで以来探している。とりあえずこれまでのところ“極上の胡椒”、切れのいい辛みと深い苦味、そして本当に仄かな甘みを含んだそれくらいしか思いついていないのは情けない。

実は、私は『愚か者死すべし』には食い足りないものを感じている。それについて書こうかとしばらく思案していたが、今までの諸篇と正確にはどこが違うと自分が感じ/考えているのか究明し切れなかったため、当面放擲することにした。この記事を投稿したら、インタヴュウを楽しみに観よう。

〔05年2月27日追記1〕 BS「ブックレビュー」を観た。約20分。自分にとっては、これが作家が語る様を目にする初めての機会だった。予想したよりはるかに“怖く”なく、かつ予想したとおり含羞と廉恥の人のように見受けられた。〔05年2月27日追記1終〕

〔05年2月27日追記2〕 上掲部分を書いてから、またしばらく考えた。以下、念のため「続きを読む」に追い込みます。

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一徹な大人たちのロンド:パーカー「スペンサー・シリーズ」

Boston Skyline 4 by egoforall

昨年夏ごろから読み始めた Robert B Parker の「スペンサー・シリーズ」既刊分を、とうとう読み終えることになった。

シリーズを読み進めていた間、とくに気に入った作品の感想をその都度書いてみようかとも時に考えた。だが読んでいくうちに、次第にこの一連の小説は(もちろん各作品は独立しているものの)全体として大きな物語を形成しているという側面もあることがわかってきた。このため、個々の作品の特徴や出来具合を云々するよりも、いかに楽しんでシリーズを読めたかをまとめたほうがいいと思うようになった。

以下は、読みながら自分がメモしておいた印象を、シリーズ作品からの(かなりの分量の)引用を交えて綴ったものです。いわゆる“ネタばれ”的記述により未読の方の興趣を殺がないようにできるだけ留意していますが、どうしても作品の筋の一部や個別の登場人物などにふれざるをえないため、「続きを読む」に追い込みます。(それでも、直接この頁へ飛んでこられた方には全体が見えてしまう。申し訳ありません)

シリーズ邦訳書誌については、これまで拙稿でたびたびお世話になっている Takashi Amemiya さんの大変な御労作「翻訳作品集成」にて、作者名索引「P」から「ロバート・B・パーカー」の項目をぜひご参照ください。

なお、以下で示す引用出典箇所でいう「文庫」はハヤカワ文庫所収、「単行本」は早川書房刊行のものです。訳者はすべて菊池光さん。ごく限られた箇所、どうしても原文での表現を知りたいと思ってウェブ上で見つけることができたところを除いて、私はこのシリーズを英語原版では読んでいないことを、あらかじめお断りしておきます。

〔2005年2月16日追記〕 原文で読んでいないことと関連して、以下の「“唯名論者”スペンサー」と題した一節にとんでもない誤りがあることに、つい先ほど気づきました。当該箇所を含め、同節の大幅な書き直しが本来ならば必要なのですが、とりあえず追記で何が間違っているかだけは明記して、しばらくそのままとさせていただきます。誠に申し訳ありません。〔05年2月16日追記終〕

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